2008年4月21日のブックマーク (5件)

  • そういえば思想というものに - finalventの日記

    そういえば思想というものに関心がなくなってきた。哲学にもそうなので、一般的な老化の現象かもしれない。反面歴史には関心が深まるし。やばいかな俺。ま、どうでもいいけど。 西洋人の思想っていうのは、なんか、オカマのぞっとするような悲しみみたいなものがないと無理なんじゃないかっていう気がする。 そうじゃない思想というのもあるのだろうけど。 どうも友愛原理というのはオカマのそれと原理的に同型なんじゃないないだろうか。つまり、国家原理というのは、オカマの問題なんじゃないか。 レズビアンの問題と言い換えられるかよくわからないけど。 たぶん、日だと、70年代以降かな、60年代は思想も哲学も基的にマルクス主義だったから。で、70年以降、おフランス思想みたいなのが入ってくる。その前に、戦前ベルクソンブームみたいなものもあるにはあるけど。 おフランス思想というのは、単純にいうと田舎の思想で、ドイツの引け目の

    そういえば思想というものに - finalventの日記
  • 物騒な話題の雑感 - finalventの日記

    えっと、特にどうたらいう文脈でもないけど。 「動物化」というのはわからないといえばわからない。勉強が足りませんなこりゃというのは率直に認めるけど、対立する概念が「人間」であるなら、そういう人間は、フーコーじゃないけど終焉したのではないか。 近代が「人間」を作り出し、それが終焉して、管理化された動物的な存在が現れるということなのか、私としては、人間の終焉の後に出てきたのは、断片だと思う。知性や技術によって断片化した存在。あるいは経済によって断片化した存在。 かつては、というかルネサンス的な人間では、そうした断片を恋愛とかまさに人文みたいなもの、あるいはドイツ教養小説(ビルドゥングスロマン)みたいなもので統合された人間を描こうとした。でも、それはかなりもうダメなんじゃないか。 では、人間は断片化されっぱなしなのか。そこはよくわからない。というのはこれは技術=ゲシュテルという存在の開示と関係し

    物騒な話題の雑感 - finalventの日記
  • 東浩紀さんへの返信 - finalventの日記

    ⇒東浩紀の渦状言論: finalvent氏への応答 応答ありがとうございます。たぶん、背景の問題の根が深そうなのでごく簡単な返信を書きます。 ナショナリズムの歴史が全体主義の歴史と密接に繋がっていること、そしてその臨界点がナチスドイツの強制収容所であることは、思想史的にはよく言われていることなのではないでしょうか。そもそもナチスの「ナチ」は、ナチオン(ネイション)のナチですし。 としてそういうこともわかっていないfinalventみたいなのがいるブログだと議論がしづらい(とか書くと皮肉みたいですがそれほどの意図はないです)……として。 世界は複雑であり、学問は専門領域に分割されていて、いちいち文脈を押さえないと議論に参加できないのではあまりに不自由で、したがってすべての反論可能性に開かれているブログはすばらしい場所です。しかし、やはりそれでも、コミュニケーションのコストを低くするためには、

    東浩紀さんへの返信 - finalventの日記
  • 問題の背景がよくわかんないけど - finalventの日記

    ぶくまでみかけた⇒東浩紀の渦状言論: 信頼社会は不安社会よりいいのか? つまりは、信頼ベースの社会というのは、基的に信頼の適用範囲を限定した社会にならざるえません。 ここだけが重要っていうことではないんだけど、なんか基がずれている感があるので。 信頼というのは、個人の価値の、つまり友人とかの選択とか、情報の選択という場合の信頼性というのと、国家=公、の信頼性とは別で、こちらは限定というより、公義のなかに信頼性が自然に含まれているものでないといけない。たとえば、あの裁判官は信頼できないというのは別段公言してもいいけど、裁判制度が信頼できないというのは違う。もしそうならそれを公義に信頼に足るものにしないと。(あと貨幣が信頼できるというも公義のうちかな。) で、信頼の社会というのは、実際には、そうした公義だけの問題ではないんだろうか。 不安ベースの社会は、人間を人間扱いしない、ぼく風の言い方

    問題の背景がよくわかんないけど - finalventの日記
  • 里山の春 | のんたんのデジタルな風景

    昨日とはうって変わった、いい天気♪ 眠い目をこすりながら、今日は山の日。 赤谷方面へ出かけてうろうろする。 何を撮ろうというわけではない、ただ春の陽射しを浴びていればシアワセ^^ 畑のそばの用水路にとても小さな水芭蕉をみつける。 土手を下りていって、ちょっと入り込ませてもらった。 画像クリックで拡大できます 簡単に撮っているようだが、実は人知れず苦労がある。 両足は用水路の向こう側、お尻はこちら側で土の上、右肩も地面についている。 流れの上に横たわっている格好で、お尻と肩はじめじめと濡れてくるのがわかる・・・ やばいな、きっと泥だらけ。まったく人様には見せられない(笑) CANON EOS 1DsMk2 : EF16-35mm F2.8

    里山の春 | のんたんのデジタルな風景