何かもううんざりしてきた。最近じゃ、本を出す時には帯に「馬鹿は読むな、お互い時間の無駄だ」と大書してくれ、と編集者に頼みそうになる。この前は書店に頼まれたポップに危うくそう書きかけた。何しろ評論家の果てまでが、まともに小説を読解して解釈して論じるだけの蓄積もスキルもなしに差別意識剥き出しの豚野郎であることを露出して恥じないご時世である。ブレヒトの「ガリレオの生涯」がナチ体制下で書かれた無知蒙昧なバチカンによる科学の弾圧を扱った本であるとか(バチカンの恐ろしさってのは、今も昔も、その真逆にあり、であればこそ恐ろしい、ということをブレヒトははっきり書いてるよ。でなけりゃ浅いつまんない芝居になってるよね)、「薔薇の名前」が流通の困難を以て不道徳を指し示す話であるとか(映画しか見てなくたってそうは思わないと思うんだが——ロッジの「小さな世界」を読んでから再読するといいよ)言う事が何ら恥ではない世の