いや、すみません、ええとですね、 ゼンリンさんの地図で ぼくの田舎のあたりを見ていたら 実家の建物の後ろに 「山口材木店」てあったんですよ。
いや、すみません、ええとですね、 ゼンリンさんの地図で ぼくの田舎のあたりを見ていたら 実家の建物の後ろに 「山口材木店」てあったんですよ。
震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ
その『信頼の構造』という本は その次の『安心社会から信頼社会へ』ともども、 「ほぼ日」というちっちゃな船に乗り込んで 大海へ漕ぎだそうとしていたときに 読んだんですけど‥‥もうびっくりしまして。
はい。糸井さんがおっしゃった、 「みんながほんとうに話し合う場所」を つくるための実験と思ってこの企画をやっています。 これは私のひとつの夢なんですが、 世界中のいろんな場所にいる人たちが たくさんのスクリーンを通してつながって、 お互いのことばもぜんぶわかるようなかたちで 文化を超えて議論する。 そういうことを私は考えています。 それについて、糸井さんはどう思いますか? すばらしいことだと思います。 ただ、なんというか、その状態すらも、 あとから考えて「過渡期だったね」って 思えるようになったらいいなぁ、 という気持ちもあります。 なぜかというと、 これまでの議論や話し合いというのは、 ことばという道具を持って、 しっかり磨いている人どうしが してきたものだと思うんです。 つまり、西部劇でいえば銃を持っている人、 日本の時代劇でいえば刀を持っている人どうし、 こどばを武器として使える人た
糸井さんは、実際の年齢とは関係なく、 精神的には、今の自分の年齢を、 何歳くらいだと思ってますか?
この家の世帯主は父ですので、 私はいろいろ 好きにやらせてもらっているんですけど、 専業農家として 米をメインに、あとは野菜なども、少し。
一方、「欧米的な価値観」というのは 日本が太平洋戦争で負けた後、 自分たちも欧米のような豊かさを持ちたいと、 戦後、実際に日本が取り入れてきた価値観ですよね。 そして、その「欧米的な価値観」を取り入れつつ、 結果的に日本は経済的な成功を遂げました。 それで、日本には両方の価値観がある‥‥ はずなんですが、私には、今の日本の人たちが、 それほど幸せであるように思えないんですね。 たとえば、今の日本を考えると、 「モノを持つことで幸せになりたい」 といった価値観が、非常に強くある。 これはおそらく「欧米的な価値観」のほうからきていて、 わかりやすいところだと、 ブランド品を持つことで幸せになりたい、 という考え方が根強くあったり。 でも、もともとの「日本の価値観」のほうには 「モノを持つ」のとは全く異なる 幸せの形があったと思えるし。
うち、この浜からすぐそこのあたりでね、 海苔の養殖やってやったのさ。 でよ、ワンちゃんとおなじでさ。
こんにちは、ほぼ日刊イトイ新聞の奥野です。 2010年12月ですから、もう1年4ヶ月くらい前、 まだ東北の震災が起こる以前のこと。 ある若い読者から、「ほぼ日」に宛てて 1通のメールが届きました。 京都大学に通う、志谷啓太さん。 当時、3回生(3年生)で、年齢は22歳。 真冬の深夜に届いた、 読むのにちょっぴり長めのメールは 以下のように、はじまります。 はじめまして。 現在、大学3回生で、就職活動中の者です。 突然ですが 「糸井さんが、就職活動中の僕を面接する」 というコンテンツを やっていただけませんでしょうか。 といっても 糸井さんの事務所に入るためではなくて、 面接という堅い形式は残したまま、 これから社会に出て行こうとする学生の話を 糸井さんに、聞いてもらいたいのです。 糸井重里に、面接してほしい‥‥という内容。 しかも「糸井事務所に入るため」ではなく、 「話を聞いてほしい」との
いや、すみません、ええとですね、 ゼンリンさんの地図で ぼくの田舎のあたりを見ていたら 実家の建物の後ろに 「山口材木店」てあったんですよ。
ありがとうございます! さっそくですがキャプテン、パイロットって 今もむかしも あこがれの職業のひとつだと 思うんです。 とくに、ぼくたち男子にとっては。
そう、ある男、いわく。 「おおーーっと、うんこを踏んだようだったが、 うんこじゃなくてよかったぜ‥‥と思ったら、 やっぱりうんこだったぜ!」
以前、糸井重里は、 こんなふうに書いたことがあります。 「経済的に自立して持続している 『ユニークな人々』に ぼくの興味はあるわけです。 『おもしろい』ということと、 『食えてる』ということが両立してることが、 さらに希望のある 『おもしろい』につながるんだ」 自分たちも、そういう、 「経済的に自立していて、 おもしろい集団」でありたい。 そんな意味を込めて書いた文章の中で、 糸井重里は 「おもしろくて、自立してて、 食えてて、持続している」人々の 理想的な例をふたつ、挙げました。 ひとつは、シルク・ドゥ・ソレイユです。 いまや世界的に認知された 最高のエンターテインメント集団。 サーカスを芸術の域にまで高め、 世界中の人たちを魅了しているのは ご存じのとおりです。 そして、もうひとつが、 グレイトフル・デッドというロックバンド。 1960年代から活躍する古いバンドで、 チャートを賑わすよ
「あなたの考えを言いなさい」 と言われた高校生がついつい 「未来のある人なのに」 と自分の考えでもなんでもないことを 答えてしまうわけですけど 「考え」なんか言いだしたら、 そもそも独自のものでは なくなるというふうに 考えたほうがいいのではないでしょうか。 ぼく自身にも オリジナリティなんてものは ほんとにないし、 一般企業にいてよくわかったんだけど、 オリジナリティに 苦痛を感じている人の方が多いんですね。 会社というものや近代人というものは 「雑巾がけひとつも 昨日と同じやり方ではなくて 毎日少しでもよくなる方法を考えなさい」 と言いたがるんだけど、 「独自性なんて出せと言われても困る。 型どおりのことをしてほめられたい」 という人の方が多いんです。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く