関数型プログラミングとオブジェクト指向の抜き差しならない関係について整理して考えるを眺めてゐて思ったことをつらつらと。常体と敬体が混ざってるやうな酷い駄文ですよ。 あ、題名に「失ふもの」とか書いたけどそもそも本質的に失ふものなんてないです (我ながら酷い釣りだ)。どうせどの言語もチューリング完全である限り出来ることは変はらない。言語によって違ふのは、同じ問題を解くためのプログラムの書きやすさだけ。でも、その書きやすさが「現実的にプログラムとして書けるかどうか」という問題に繋がるから、みんな言語設計やパラダイムについて語るんですよね。 副作用と IO モナドの話 純粋関数型言語マンセーの人はその純粋さ (参照透過性が保証され、副作用のある演算ができないこと) こそが利点であるとことさら強調します。それは、全てのものを抽象的概念としてモデル化する数学・論理学の問題を解くには確かに適してゐませう