旧ソ連は核兵器開発のため、1945年、このウラルの森の中にプルトニウム生産工場を造ることを決めた。 テチャ川水系の豊富な水と秘密を守れるウラルの深い森は核兵器生産に最も適した土地だった。計画から2年半で暗号名チェリャビンスク40(現在はオジョールスク)という秘密都市が建設された。ここは最近まで地図にも載せられていなかった。 現在も、ロシア人すら入ることができない秘密都市だ。 元トラクター運転手のグスマノフ・ワフィル(68)は原因不明の骨折で苦しんでいる。1956年から61年まで汚染除去作業にかり出された、と言う。 (モスリューモバ村) 1948年最初の原子炉が動き出し、プルトニウムの生産が始まった。プルトニウム生産コンビナートは「マヤーク」(灯台)と呼ばれた。マヤークは3つの機能を持っていた。1,ウランを燃やす原子炉 2,使用済み燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場 3,プルトニウム金