徳川家康は、織田信長と同盟し、豊臣秀吉と対立・臣従した後、日本全国を支配する体制を確立して、 15世紀後半に起こった応仁の乱から100年以上続いた戦乱の時代に終止符を打ち、江戸幕府の礎を築きました。 しかし、彼の人生は屈辱と忍耐の連続でした。幼い頃から人質として諸国をたらいまわしにされ、その途中で信長と出会います。 信長と竹千代(家康の幼名)は義兄弟のちぎりを交わし、 当時仕えていた駿河の大名・今川義元が信長に殺された事を機に独立し、信長の同盟者として、戦乱に身を投じました。 「鳴くまで待とうホトトギス」「織田がつき、羽柴がこねし てんかもち、すわりしままに食うは徳川」という歌に示されるように、 忍耐の人と認識されていますが、若い頃は割と血の気が多い人だったと言われています。 ZIPANGでは、そんな伝説を持つ徳川家康の甲冑を、「ボトルアーマー」として精巧にミニチュア化。 戦国を駆け抜けた