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2009年10月18日のブックマーク (2件)

  • 骨髄バンクでドナーになった経験と、その後の登録を断ったときの話 | 赤と黒

    骨髄ドナーというのは、身近なようでいて周りにあまり経験者がいないものではないだろうか。 多くの人が「人の命を救うことができるならやってみたい、でも大変そう…」程度に考えていて、ドナーを経験した人は「すごい」「偉い」と単純に賛美の対象になる感がある。 私は、数年前にその骨髄ドナーを経験した。 来ドナーになったことは大っぴらに公言してはいけないのだが、幸い?なことにこのブログの存在は誰にも明かしていないので、身元が分かることはまずないだろう。それよりも、自分の経験を少しでも多くの人に知ってもらう方が価値があるのではと判断したので、書いてみることにする。 長文です。 ドナーに適合したのは、登録してから5年ほどしたころ。 ちょうど大きな引越しが重なってしまい、コーディネーターと呼ばれる、骨髄バンクのスタッフの方には大変迷惑をかけた。 正直に言うと、当に選ばれたのは非常に驚いた。 登録はしても、

    骨髄バンクでドナーになった経験と、その後の登録を断ったときの話 | 赤と黒
  • DrasticDramatic 『ブラッドハーレーの馬車』(沙村広明)を読んだ。救いなんてどこにもなかったよ。

    この物語は非常に美しい。  嫌味や皮肉でそう言っているのではなく、無残絵の残酷美にも通底する美しさが全編に渡り緻密に練り込まれていると、そう感じた。  ジャック・ケッチャムやフランク・ヘネンロッターのような、偏差値貧乏な残酷さを「不謹慎」と断じるならば、作『ブラッドハーレーの馬車』はその「不謹慎」の一歩先を行っている。過剰では決してないが、計算され尽くした暗黒がそこにぽっかりと口を開けている。  作は第一話から最終話まで、徹底して救いのない残酷劇として一貫させている。肉体的に、精神的に、或いは常識を、壊せるものはどんどん壊そうという勢いで、文字通りに肉体が破壊されたり精神が破壊されたりと、グラン・ギニョールさながらに描写される。  そして、それら残酷劇の主人公たるは孤児院で育った少女たちなのだ。壊され、犯され、滅されてゆくのは年端もいかぬ少女たち。ここに作者の強大な恣意性を感じる。恣意

    nvs
    nvs 2009/10/18
    読んでみたい。