そういえばヘンリー・ダーガーの展覧会を見ていた。原美術館での展示はとっくに終わっているが、この人の日本での語られ方、受容(消費)のされかたには違和感がある。簡単にこのエントリのオチを言えば、ダーガーは美術的な判断の上で「病人」とされたというよりは、アメリカ社会の構造の中で「病人」にされている。そしてダーガーが「アウトサイダー・アート」である事を喜び消費している日本人は、僕の見るところ「病人」ダーガーに自己を投影している。つまり、自分が病人として位置づけられる/価値づけられる/欲望される事に不透明な喜びを覚えていて、そのような自意識の保護のためにダーガーを利用しているように見える。さらにその構造は、美術消費の場面だけでなく生産の場面でも見える。つまり、現在日本のアートは自らを積極的に「病人」として世界(ほぼアメリカの事と言っていい)に認めてもらおうとしている。結果的に内部=巨大な閉鎖病棟であ