じゃ、はじめましょう。 通訳はシノダさんがやりますね。 前にお会いしたとき、彼女の通訳、 とてもよかったでしょ? Let's get started, then. Today Shinoda will interpret for us. She was great last time, huh?
じゃ、はじめましょう。 通訳はシノダさんがやりますね。 前にお会いしたとき、彼女の通訳、 とてもよかったでしょ? Let's get started, then. Today Shinoda will interpret for us. She was great last time, huh?
Lesson653 生きてるほうが面白い ふしぎなことに、 このところ、ふるさとに帰るたび、 受けとるのは「希望」だ。 私たちは、 坂を下るように、 20代、30代、40代、50代‥‥と 老い衰えて、死ぬ、と思いがちだ。 でもそうじゃない。 「まきかえす。」 8月のお盆、 帰省して、父の「まきかえし」に驚いた。 6月下旬に、 2度目の脳梗塞の発作で入院した父は、 「できるほうが、動かんようになった‥‥」 と、失望をあらわにしていた。 1度目の発作で、 右手・右足にマヒがでた父は、 左手・左足の動くほうをたよりに、やってきた。 ところが、 2度目の発作で、なんと、 できるほうの左手・左足が動かなくなってしまった。 しゃべることにも障害が出た。 これまで不自由だったほうの右手が、 利き手として、やむなくがんばることになり、 その不自由な手で、 ゆっくりゆっくりオレンジを食べていた父が いつまで
Lesson646 「誰かのせいで何かができない」と言わない自立 ー3.誰にも頼らず一人でできる、が自立? 東京の一人暮らしが、 18年にもなる私は、もはや、 お一人さまでレストランにもはいれるし、 ひっこしもできる。 フリーランス × 一人暮らし。 もともと甘えん坊で、 家族と離れ東京に出てきたときの 心細さといったら子供のようで、 だからこそ、 「一人で映画に行けた」、 「一人でパソコンを買ってこれた」など、 「誰にも頼らず一人でできる」 が増えていく自分を、素直に喜べた。 だが、その気になれば、 だいたいのことは一人でできてしまう自分 になってしまったころから、 この方向性、どうもちがうんじゃないか? と思い始めた。 誰にも頼らず一人でできる、が自立? 読者の36歳男性は言う。 <自立は多くの人に依存すること> 最近読んだ安冨歩さんの「生きる技法」という本に 「自立とは多くの人に依存
Lesson640 理解力と表現力と、先を創るチカラ 若いうちに、 寝る時間を削ってでも身につけておきたい基礎って なんだろう? 「理解力」と「表現力」。 なにはなくともこの2つがあれば、 働くにしろ、コミュニケーションにしろ、 やっていけると私は思う。 「理解力=わかるチカラ」 外界の情報なり、他人の言葉なりを、 はずさず読み・聞き、理解する力。 「表現力=あらわすチカラ」 自分の想い・考えを、 言葉などのカタチに表して、 他者や外界に伝え、通じさせる力。 2つがちゃんとできれば、 初めて働きに出ても、 上司の言葉なり、会社の資料なり、 読み聞き、理解して、 困ったときも、自分のその困ったという想いを きちんと外にあらわして、 疎通して進んでいける。 料理の分野なら料理で、 「理解」の基礎があれば、 おいしい料理を食べたとき、 ちゃんとおいしいとわかることができる。 さらに「表現」の基礎
Lesson634 意地になってはいけないところ 「ここで勝たなくていい。」 というところで、 無用な戦いをしてしまっていること、 日常で、けっこうあるんじゃないだろうか? よくよく考えると、 そこは、自分が勝つ必要のないところだったり、 相手の立場になって考えると、 そこに敵はいなかったり。 「勝負どころ」を間違えると、 自分もまわりも傷つけて、 出口のない消耗戦におちいってしまう。 きょうは、フリーランスが部屋を借りる話が出てくるが、 フリーの話でも、不動産の話でもない、 「意地になってはいけないところ」の話だ。 新緑の季節に向けて、私は、 有栖川公園の近くにひっこすことにした。 園内に素晴らしい図書館があり、 「書く環境」を整えるためだ。 賃貸の部屋を借りるにあたって、 とまどったのは、「保証会社」の存在だ。 8年ぶりに引っ越す私は、 東京の賃貸事情が変わっていたのを知らなかった。
Lesson631 傷つけないでと言う前に 先日、 地雷を踏まれ、ツラかった。 でも、顔で笑って、心で泣いて、 グッと我慢した。 だから相手は気づかずに、 傷跡を、ずかずか、ぐいぐい、 何度も何度も、しつこく、踏み続ける。 とうとう我慢の限界が切れ、 「私がどんなに傷ついているか、 なぜ傷ついたか、 あなたは私にどんなひどいことをしたか、 だから今後はこういうことはしないで、 あれはやめて、これはやめて‥‥」 とまくしたてようとした矢先、 心の中で、こんな声がした。 「その方向、なんか、つまんなくない?」 意外な声に、 感情は高ぶっているにもかかわらず、 私は一瞬で押し黙った。 次の瞬間、こんな声がした。 「これくらいの傷なら、 自分でのりこえられるんじゃない?」 地雷を踏まれたとき、 傷ついた、傷つけられたと、 自分の傷を披露したり、 相手を責めたり、 相手に、今後一切、 あれを言うな、
・先日、クルマで中央高速を走っているときに、 同乗していた「ほぼ日」の女性たちが、 急に「あ、中央フリーウェイですね」と言い出した。 そう、中央高速をさんざん走ったことのあるぼくでも、 それについては何度も思った。 「調布基地はもっと先か」であるとか、 「競馬場はもう過ぎたのかな」とか 「ビール工場はいまでもあるのかな」とか、 妙にはしゃいでいるようだった。 世代的に、ユーミンの楽曲になじんでいる人たちだから、 その歌詞のなかにじぶんがいるということが、 格別にうれしいのだろう。 「横浜だったら、山手のドルフィンも行った?」とか、 話はさらに、中央フリーウェイからも移動していた。 すごいな、こんなに人びとの記憶のなかに残っているんだ。 いまでも「調布競馬場」はあるけれど、 「調布基地」はないし「ビール工場」をぼくは見ていない。 しかし、歌詞のなかに登場する実名は そのまま「ある、あった」も
Lesson621 引き際の美しい人 - 2.読者の引き際 「よく表現された別れは、引きずらない。」 別れるときに、 何か「ひと表現」できた人は、 悲しんでも潔い、 と先週、私は書いた。 実際の読者の別れはどうだったのだろう? まずはこの読者メールから。 <言わせてくれ!> 先週の記事を読んで、 以前、付き合っていた方から 別れを切り出されたときを、思い出しました。 メールで、「俺たち、別れようか」と 非常に簡潔な文章をもらったのです。 彼が別れたがっていることは、 ずいぶん前から気付いていて、 そのときは、きっぱり別れよう、という心づもりを していたにも関わらず、 「うん、そうだね。そうしよう」とだけサラッと言って 別れることはできませんでした。 無性に、 「言わせてくれ!」 と思ったんですね。 「彼のどんなところを、どういう風に好きだったのか」 「今まで、してもらったことの中で嬉しかっ
Lesson613 あなたには表現力がある -2.表現する側へ だいすきな音楽だけど、 このところ妙な気持ちになる。 ライブのDVDを繰り返し見たり、 ユーチューブで一般人のカヴァー演奏を 次から次へと検索して見たり、 パソコンのこっちで、 ひとしきり、のったあと、 すーっと虚しくなる。 「いつまで画面のこっち側で、 指をくわえて、眺めているつもり? 音楽は一生、消費するだけでいいの?」 そんな「問い」がつきあげてくる。 私は音楽は1ミリも何にもできない。 ただ姉が音楽をやるので、 幼いころからずーっと、憧れだけは くすぶり続けている。 姉のピアノの稽古にくっついていき、 ドア越しに、聴音のやり取りを聴いて育った。 音が変わるたびに、 場の空気が変わっていく。 こども心に、「あそこは世界がちがう」と感じていた。 もちろん趣味で、だけど、 いつか、なにか、楽器ひとつくらいは、 ひけるようにな
Lesson606 人の品 - 3.砂の金 自分の人生を降りてしまう人と 降りない人の差は、 紙一枚のわずかではないか? 私が書き始めて3年経つまでは、 やめようとは一度も思わなかったけれど、 力の最後の一滴がつき、 もう続けられないのではと思ったことは 何度かある。 不思議なことに、 そんなときどうしてか、必ず1通、 読者から腹にしみわたるメールが届いた。 1通に支えられて私はここにいる。 そう書いた先週のコラムに、 こんなおたよりをいただいた。 <砂金すくい> 「人生を降りるも降りないも紙一重」 ズーニーさんは、 必ず届く「偶然の一通」によって踏みとどまれた と仰っていましたね。 それを読んだ時、ふと頭浮かんだのは、 “砂金すくい”でした。 砂金の出そうな川に目星をつけ、 砂を掘り起こして、 流水で洗いながら砂金を選別する。 熟練者でも1日がかりで得られる金の量はわずかで、 割に合わ
Lesson605 - 2.なぜか品のある人 先週の「人の品」には、 思いもかけず、とてもたくさんの反響をいただいた。 まず、この1通をお読みください。 <降りる降りないは紙一重> 「人の品」、 読んで浮かんだのは、 大学生の頃の自分でした。 当時、どうしてもお金が必要だった。 家賃、生活費、毎月のローン・・・・ ローンは、田舎から一人出てきて、 母親からの自由と自立を得た代償。 親には絶対頼りたくなかった。 家賃は同棲していた彼と半分。 それが理由で彼と別れられない生活が嫌だった。 自分の力で「合法的に」最大限お金を効率的に 稼ぐにはどうすれば良いか。 ただ、それだけを考えた。 でも、飲食店でのバイトは続かない。 じゃあ、塾の講師と思ってしたけど、 続けたいとも思えず終了。 才能があるわけでもない。 特技があるわけでもない。 資格を持っているわけでもない。 私には何もなかった。 たかだか
また、いまの経験が、ずっとあとになって 子どもたちにテニスを 教えたりするようになってからも、 すごくいい影響を与えるような気がするんですよ。 だから、休んでた期間は、 いまテニスをやるのにとってもいいし、 いまテニスをやっていることが ずっとあとでテニスを教えるときに すごく効果があるっていう。
Lesson587 仕事の選択 13 私が、「教育」の分野で、 ずっと意欲をもって 仕事をしつづけていられる理由の1つに、 「越権行為をしない。」 ことがあげられる。 文章表現教育なら、文章表現教育の、 「持ち場」をきちんとわきまえ、 自分の領分において、使命をまっとうする。 自分の持ち場をこえて、 生徒さんに介入することを 私は、厳しく自分に禁じ、つつしんできた。 世の中には、 越権行為を美談のように語る人もいる。 たとえば、 「彼は、いち教員でありながら、 もう、教員のワクにおさまらない すばらしい仕事をしている」 というふうにだ。 「持ち場を越えて働きかけること、 それは、いいことなんだろうか?」 私には、越権行為を厳しくいましめる 分岐点となった経験がある。 プライバシーに差し障るので、 人物や、設定などに、大きな改変を加えて、 お伝えしよう。 20年近く前、私は、 いわゆる「カ
Lesson153 優しさの芽生え 私は、ここにコラムを書いて3年になる。 ここへきて、浮上している疑問は、 批判は人を育てないのではないか? ということだ。いまも迷っている。 企業で編集をしていたころ、 読者にものすごい量のアンケートを取ったり、 こちらから読者に直接ヒアリングしていた。 そこで、読者から受ける「批判」は、 痛いけれど、仕事を伸ばしていくのに必要不可欠のものだ。 それは、今でも必要だと思う。 で、それを、人間にもあてはめて、 「批判」は必要だ。自分にも、人にも。 自分では気づくことのできない自分のゆがみを 他人の目から指摘してもらえる。 私は、そう思っていた。 だから、ここにコラムを書きはじめるとき、 「どんなひどいメールがきても、 必ず私に転送してください。」とお願いした。 覚悟の上で、自分をとりまく現実を引き受けようと思った。 実際はじまってみたら、 非常に数は少ない
志谷啓太さんの「面接」は、終わりました。 「ふんふふーーん‥‥」と 鼻歌交じりの面接官が部屋を出ていったあと、 上気した表情で 帰りの身支度をしはじめた志谷さんに 「どうだった?」と 「面接」直後の感想を、聞いてみました。 間髪を入れずに、答えが、返ってきました。 「僕、うぬぼれていました。 やっぱり、甘かったです」 「僕は、この企画が通った時点で 糸井さんに 認めてもらえたんだと、思い込んでいました。 だから、糸井さんと もっと話が合って、もっと気に入られて‥‥ でも、そうじゃなかった。 最後、ふつうの子だねって言われたときに すこし、ショックでした」 ふつうの子って、 ぜんぜん、わるい意味じゃないんだけど。 「はい、それはわかってます。 だから、 それくらい、うぬぼれていたんです。 今日は、きびしいことも含めて、 糸井さんに たくさんのアドバイスをいただきました。 すごく、ありがたかっ
2011年2月半ば、京都。よく晴れた日。 僕たちは、志谷啓太さんの ひとり暮らしの部屋を、訪れました。 きれいに片付けられた、1Kの部屋です。 おたがいに、あらためましてのあいさつを済ませ、 向き合う位置に腰を下ろしました。 JR京都駅からこの部屋まで いっしょに地下鉄に乗って来たんですけど、 今のところ 「僕を面接して、コンテンツにしてください!」 とメールしてくるような 積極性にあふれた青年には見えていません。 むしろ、ずいぶん物静かな印象。 僕ら、いちおう年上だし、社会人だし、 まだ、ちょっと緊張しているのかもしれない。 そこでまずは 「自分自身」について、話してもらいました。 「1988年10月17日、宮崎県の生まれで 22歳、京都大学の3回生です。 父はピアノの調律師で 母は、パートで保険会社の事務職。 弟がいます、ひとり。 小林高校という宮崎の県立校から 一浪して 京都大学の総
Lesson583 仕事の選択 9 「ありのままのあなたでよし! とは、 あなたは、だれに言われたら満足ですか?」 大反響の「ありのままって何」につづき、 きょうは、上記の問い1つにしぼって、 読者メールを紹介したい。 結果から言うと、「自分」という答えがいちばん多かった。 今回も、あえて私のコメントはそえず、 読者メールだけを、一気に紹介します! 読者のメール、すごい! です。 <だれに言われれば満足か?> 最後に行き着いたのは「自分」でした。 自分が心から納得しているのなら、 「ありのまま」は、 他人が一人として認めないことであっても、 認めてほしいとすら思わないのでは。 (Y.Y) <その先へ自分をつないでいくこと> 私は9歳の時に 一生付き合っていかなければならない疾病に罹患し、 高校生の時に障害者の認定を受けました。 残念ながら、 発症から20数年経った今でもなお、 私は自分の
このことも、一般的な常識と反しているように 聞こえるかも知れません。 なにしろ日本は 長らく「安心で安全な国」と言われてきたし、 終身雇用制度なども みんなでリスクを減らそうという試みの一環だと 思われてきましたから。
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