登山がブームになることがある。人々は何を求めて山に登るのだろうか?おそらく、非日常的な自然の景色に圧倒されたり、体を動かすことを欲していたりするからだろう。しかし、私が育った山国で山に登るのは、生活のために必要な人か遊びに行く子供ぐらいで、多くの人はそれをただ眺めるだけだった。 山国では、地域によって住民の目に付きやすい山というのが決まっていて、そういう山は特別の愛着が持たれるものである。長野県を例にとると、松本市では常念岳や乗鞍岳、堀金村では常念岳、穂高町では有明山、という具合である。そして、今私が住んでいる上田市では、太郎山(たろやま)が象徴的存在として扱われている。 朝の太郎山 これらの山は生活の背景として、市街地や、田園田畑の光景に入り込んでいる。そして季節によって様々な姿を見せ、それが日常会話の語り草となるのである。そのことが、山国におけるあらゆることを支え、その光景を統制のとれ