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medtoolzに関するnyubachiのブックマーク (21)

  • ロボットの神様 - レジデント初期研修用資料

    医療従事者が人であるかぎり、理不尽な思いを受け止めるのは人の役割で、現場からはトラブルがなくならない。 人しかいないその場所に、人が行っていた仕事だとか、判断を、肩代わりしてくれる機械が置かれると、理不尽な状況に居合わせた人の感覚が、怒り以外の何かへと変化することがある。 心臓マッサージを行う機械 心臓マッサージを行うと、医療従事者は汗まみれになる。あれはけっこうな重労働で、30も過ぎた人間が15分もマッサージを続けると、息が上がる。 「汗」というのは目で見て観測できる。患者さんのご家族はときどき、汗の量から主治医の熱意を測定する。ご家族が測定した医師の熱意が、期待された量を下回っていたら、そのことがきっかけになって、怒りの対象が医師に向かうことがあるのだと思う。あの動作を、人間が汗まみれになるような、心臓マッサージの動作を機械にやらせると、たぶん感覚がずいぶん変わる。 心臓マッサージを自

  • 本が出ることになりました - レジデント初期研修用資料

    研修医時代を過ごした病院には、何年も使われ続けてボロボロで、外科の若手が練習がてら、人工血管や人工硬膜で破れた場所にパッチを当てた、 なんだか異様な見た目のソファーがあって、勤務時間を終えた上の先生がたが集まっては、毎日遅くまで、患者さんのこと、病気のこと、いろんなことを語りあっていました。 夜間の救急外来は1年生の仕事で、救急外来で診断に困った患者さんが来たときには、実際問題「困る」のは日常であったのですが、ソファーのあるその場所に、資料を持って駆け込むと、そこに集った先生がたから、怒られながら、突っ込まれながら、いろんな科から、たくさんのアドバイスがもらえたものです。 現場の問題は、しばしば複数の診療科にまたがっていることがあって、ある科を回っている研修医にとっては深刻な問題が、別の科の先生にとっては常識になっていたりすることも多くて、いろんな科の医師が集まったソファーセットは、専門科

    nyubachi
    nyubachi 2010/03/12
    すばらしい。さっそく予約しました。
  • ネット時代の距離感について - レジデント初期研修用資料

    新しい技術として登場したインターネットが、あって当然のインフラになって、「人がそこにいること」の意味は、むしろ増したような気がする。 研修医が減った もうしばらく前からずっとそうだけれど、大学みたいな大きな場所から、研修医がいなくなった。ローテーション制度が始まった頃だって、大学には研修医が60人とか、100人とか、小さな社会を作れる程度には集まって、「少なくなった」なんて頭を抱えながらも、大きな施設は、それなりに回ってた。 人が減る流れは加速して、大学規模の施設でも、中に残る研修医はせいぜい20人ぐらいのところが増えた。みんながどこに行ったのか、未だに把握できていないんだけれど、たぶん若い人たちは、都市部の市中病院に分散して、小さな集まりの中で研修を受けているんだと思う。 自分が研修医時代を過ごしたのも民間病院だったけれど、ほとんど毎日のようにカンファレンスがあって、研修医は、それに出席

  • マスターアップしました - レジデント初期研修用資料

    2009病棟ガイド の名前で昨年から製作を続けていたマニュアルが一応完成し、データが印刷所に納品されることになりました。 メモ書きの束に過ぎなかった原稿をまとめるのは大変で、原稿をオーム社様に持ち込んだのが昨年12月、その頃から原稿は、Subversion を用いたバージョン管理が導入されるようになりましたが、上の先生がたに査読をお願いしたり、編集部の方にレイアウトを直していただいたり、訂正箇所は膨大で、最終的に、原稿のリビジョンは120に及びました。 結局このはなんなのかと言えば、「平凡な医療の劣化コピーを簡便にまとめたもの」である、ということになるのだと思います。 世の中にはもちろん、たくさんの正しい教科書があって、それを読み、理解することができれば、正しい知識を身につけることができます。いい教科書がたくさんある現状で、それでも「劣った教科書」を出す意味というものがあって、恐らくそ

    nyubachi
    nyubachi 2010/02/26
    出版が待ち遠しい。
  • 理解は押しつけから始まる - レジデント初期研修用資料

    理路整然と、病気のことを患者さんにしゃべり倒しても、「理解」を得るのは難しい。どれだけ詳しくしゃべっても、患者さんからは「お任せします」なんて終結宣言がでて、伝わっていると思ったことは、全然伝わっていなかったりする。 「それは要するに、こういうことなんですね」なんて、患者さんの口から発せられる「要するに」をお互いに共有する、理解の方法論。 誰も病気のことなんて知りたくない 主治医は病気の専門家だから、患者さんの状況に応じて、今どんなことが推定されて、それに対してどういう手段を考えているのか、教科書的に正しいことを、系統だって語ることができる。実はこれが「できる」人すら少ないのが問題といえば問題なんだけれど、一応できることになっている。 ところがたぶん、患者さんだとか、ご家族の多くは、「系統だった」話を聞いて、それを理解であると認識しない。知りたいことの重要度は、個人によってまちまちで、たと

  • 「もてなし」の力 - レジデント初期研修用資料

    人を「もてなす」というのは、相手の動線を最小化するように、自らの振る舞いを、相手に見せることなんだと思う。 同じ仕事をこなすのに、お互いの仕事量が最小になることを目指してしまうと、それは相手から見ると「仕事の強制」であって、もてなしとは違う。たとえ相手の動線を最小化することに成功しても、それが相手から見えないと、単なる「便利」になってしまって、もてなされたという感覚が発生しない。 病院におけるもてなし 病院には、相手を「もてなす」構造というか、仕組みがたくさんあって、そういうものを上手に使うと、患者さんの印象を変えることができる。 ご家族に病状説明を行うときには、ご家族は最初、患者さんのベッドサイドで待っていることになる。病状説明を行うのは別の場所だから、距離があって、わずかな距離だけれど、この距離を、相手を「呼び出す」ことに使うのと、主治医が歩いて相手を「迎えに行く」こととで、印象は全く

  • 手段としての謝罪 - レジデント初期研修用資料

    「医療コミュニケーション」の考えかたみたいなのをまとめる機会が今後あったとして、やっぱり「謝罪」というものの扱いかたが、特徴というか、鍵になるような気がする。 元検事は謝らなかった えん罪事件の元検事が、「謝らない」ことで、ずいぶん叩かれてた。 元検事の「謝らない」というやりかたは、たとえば検察側に何かものすごい深謀遠慮があって、今あえて謝罪を拒否しているということでは無いような気がする。あれはむしろ、検察の側に「謝罪を中間手続きとして折り込んだ交渉戦略」が用意されていなかったものだから、謝罪を決断するタイミングを逃してしまったのだと思う。あの場所で、えん罪でをかぶせられた人の不快感に対して、一言「ごめんなさい」と言ったところで、それが一人歩きする可能性は低いだろうし、たとえば相手側の弁護士がそこで言質を取りに来ても、それを切り返すことは、そんなに難しくない。 謝罪という行為を、そこで「終

  • 大きなものの作りかた - レジデント初期研修用資料

    この1年ぐらい、自分なりに大きなものを作ってきて思ったこと。 何かやりたいこととか、明確な目的があって、そんな骨格に肉をつけていくように、一つのプロダクトが仕上がっていくことは、むしろ少ないんじゃないかと思う。プロダクトというものは、たぶん最初に「制限された迷走」を行う時期があって、目的とは無関係な制限に、膨らんだ発想がぶち当たるぐらいまで大きくなって、そこではじめて、目的みたいなものが見えてくる。目的が生まれて、価値のものさしが生まれて、膨らんだ何かは今度は削られて、一つの骨格に基づいたプロダクトというものが生まれるんだと思う。 何か「これ」というものを書く、作るときにはたぶん、「こうしたい」なんて漠然とした願望はあっても、実際問題作ってみないと、「こうしたかった」という、具体的な何かは見えてこない。 「こうしたかった」は、下手すると手を動かしている人にはついに見えることがなくて、「こ

  • この本は何でないのか - レジデント初期研修用資料

    何人かで共同作業を行うときには、「ない」で目標を定義しておくと、喧嘩を回避しつつ、生産的な意見を出しやすかったんだと思った。 自分が今作っている原稿について。 「眼」を調達するのは難しい 今自分が作っているのは、症状を見たらいきなり検査を組んで、下手すると、結果が出る前に治療をはじめるやりかた。病名診断があやふやな状態から、それでも前に進むためのやりかた。こういう状況は決して珍しくないだろうし、これを便利に使ってくれる人も、世の中のどこかにはきっといるだろうと思うんだけれど、やっぱり難しい。 これが病名別の教科書ならば、その病名に行き着かないかぎりは問題は表面化しないし、よしんばどこかの病名に、間違った記載があったとしても、それを訂正できたなら、問題はそれ以上大きくならない。自分が作っているやりかたは、そういう意味では問題山積みで、判断分岐のどこかに「間違い」があったとして、その間違いのせ

  • 来るはずの 俺の時代が 来なかった - レジデント初期研修用資料

    ネットから実世界への、「越境」の難しさについて。 研修医向けに作った原稿を書きためて、ネットで少しだけ名前が売れるようになって、 商業出版品質にギリギリかする程度になった原稿を持ち込んで、出版社からは好意的な評価を いただくこともできたのに、ようやくたどり着いたこの段階になって、 そこそこ売れた自分の「名前」が障害になって、話がなかなか前に進まない。 匿名世界では何でもできる 昔の「テキストサイト」時代、アクセスがそこそこ増えてきて、身の回りのちょっとした「バカ」をネタにして、 読者がそれなりにつくようになってくると、それがエスカレートしていく人がいた。 何度も何度もバケツでプリンを作ってみたりだとか、マクドナルドに行って、肉を何十枚もはさんでみたりだとか。 同じようなネタを何度も何度も、もう人はそれをそんなに楽しんでいるようには見えなくて、 読者だって、恐らくはそれに飽きていて、その割

  • 平凡なものをたくさん作る - レジデント初期研修用資料

    「すごいもの」を目指した物作りは最初の段階で行き詰まって、たいていの場合、上手くいかないような気がする。 「すごい」は相対評価だから、そこにはたぶん「平凡な」先客がいるはずで、 あとからそこに入り込むのは難しいし、その場所が狭かったなら、相手に打ち勝ってやっと手に入れたその場所は、 手に入れたときには価値がずいぶん下がってしまって、恐らくは投じた労力を回収できない。 量は質に転化する ある状況だとか、ルールがあって、同じ土俵で比較できる相手がいる場所で、 相手より、漠然と「すごい」ものを目指そうとすると、どうしても、アイデアの出現閾値が下がってしまう。 アイデアだとか、プロダクトにおいては、「量」を「質」に転化することはできるけれど、たぶん逆は難しい。 たくさんのアイデアを出すことで、偶然すばらしいものが生まれることもあるし、 質の不足を量で補うこともできるけれど、質の高いアイデアを出そう

  • 分からないときの振る舞いかた - レジデント初期研修用資料

    間違える、あるいは「放り出す」といったほうが正しいのかもしれないけれど、患者さんを診察して、 その人の抱える問題に対して、主治医としてなんのアイデアも浮かばないときに、 患者さんに対して、どう「ごめんなさい」をすれば、その人の問題が解決できるのか、 そんなことを考えてる。 間違えが正しく重なると治る 胸部大動脈瘤で手術になった患者さんは、最初に整形外科にかかっていた。 その患者さんは「肩が痛い」と訴えて、胸が痛いとか、苦しいとか、 そういうお話しを全然しなかったらしい。 患者さんを診察した整形外科の先生は、肩を診て、分からないからレントゲンを撮って、 心臓の上側がやけに大きく拡大していたものだから、「肺癌疑い」なんて診断で、 その患者さんを紹介した。 外来に来てくれている呼吸器の先生は、胸を聴診しても、その人には何もなかったのだけれど、 「肺癌」と紹介されたものだからCTスキャンをオーダー

  • 勝手に正しくなっていく教科書を作りたい - レジデント初期研修用資料

    たぶんどこの業界でも同じなんだろうけれど、そこで働いていくために必要な知識というのは、 ちょうど樹木のような形をしている。知識の体系を形作るために、あるいは全体の見通しをよくするために、 幹だとか、枝ぶりというものが絶対に必要なんだけれど、「薬草」として、実際に役に立つのは、 恐らく「葉っぱ」の部分なのだと思う。 幹から葉っぱまで、知識を樹木ごと丸呑みできれば、その人は業界を理解した、ということに なるのだろうけれど、それをやるのは難しい。 内科だと、たとえば「ハリソン内科学」みたいな成書を一冊、隅から隅まで理解できれば、 たぶんその人に文句を言う医師は相当に少なくなるけれど、世の中にはたぶん、 ハリソン内科学の原著を読み通した人は、そもそもそんなに多くない。 凡人に理解できる量というのは限られて、だから世の中には、神様みたいにあがめられる大きなとは別に、 小さくまとまった、知識の切り売

  • 2009病棟ガイド - レジデント初期研修用資料

    2009病棟ガイドというものを作りました。 ある症状を持った患者さんがいて、その人に何らかの検査がすでに行われている状況で、 「次にどうすれば治癒に結びつけられるのか」の手がかりになるものを目指しています。 まだまだページ内参照も不完全で、疾患名ごとに、定評ある教科書の参照ページをくっつける作業も 残っているのですが、この3週間キーボードを叩き続けて、もうみるのも嫌になってきたので、 とりあえず暫定版を公開します。 まだLaTeX2HTML が通らないのですが、もうしばらくしたらWeb 版を公開できると思います。

    nyubachi
    nyubachi 2009/03/28
    すごい。
  • 才能がなかった - レジデント初期研修用資料

    昔話。 研修医の頃 「研究」と「臨床」と、自分たちの頃は、医学部の卒業生がとるべき進路は 真っ二つに分かれていて、自分は臨床で名を上げたくて、そっちを選んだ。 忙しくて、厳しい研修をさせることで有名な病院に入って、バタバタと走り回って、何とか走り切れた。 走れたことで自信ついて、自信あったから、大学医局に入った。 新しい環境に慣れるのには相当に時間がかかったのだけれど、大学でも、 それなりに居場所ができて、そこは居心地がよかった。今から思うと勘違いだったんだけれど、 居心地よかったから、自分はきっと、そこそこすごいんだろうなと思ってた。 地方会に症例発表をする機会があって、田舎の大学は駅から遠いから、 駅までの道のりを、下級生の車で送ってもらった。 下級生は上級生を持ち上げることが義務づけられているから、道中の車内は、 もちろん自分の大自慢大会になって、下級生は「わぁすごいですねぇ先生」な

  • もうすぐ家が建たなくなる - レジデント初期研修用資料

    何となくだけれど、自分たちの業界では、もうすぐ、「家が建たなくなる」気がする。 業界からは、「いわゆる大工さん」がいなくなる。 煉瓦を積む専門家だとか、かんなをかける専門家はたくさん生まれるだろうし、 そうした「部分の専門家」の腕前は、おそらくは昔ながらの大工さん以上に優秀なんだけれど、 家は建たない。 「家建てる人」を目指している研修医は少ないか、もしかしたら彼らは、「家を建てる」ことを避けている。 部分の専門家 自分が昔習った病院は、「部分の専門家」を生み出す方針だった。 患者さんの方針は上司が決めて、研修医は、まずは手を動かす。 胸水のたまった肺炎の人が入院する。チェストチューブを入れるとか、 人工呼吸器をつなごうだとか、そういう決断は上司が行ってくれて、 研修医は上司の監督下に、手を動かす。 手が動くと、なんだか上手になったような気がするから、やる気が出た。 そればっかりやってると

  • 文化は誰のものか - レジデント初期研修用資料

    医師がまだ「プロ」として認知されてた大昔、自分たちは病院内で自由に振る舞って、 患者さんは慎み深く、トラブルなんてなかった。 技術だとか、知識だとか、彼我の差は圧倒的で、だから病院は聖域であり得たし、 トラブルが起きたところで、もしかしたらたぶん、患者さんには、それがトラブルであると認識出来なかった。 時代は進んで、いろんなことがやりにくくなった。 患者さんの突っ込みは厳しいし、「自由に振る舞う」なんてとんでもないし、 どんなトラブルも、それが起きたその時点で、そこにいる全ての人が、 「トラブルである」と認知するようになった。 時計の針を逆に回すやりかた。 知識は追いつかれる 「知」というのは、それが知であるためには記述可能で、再現可能でないといけない。 知識は広まって、模倣されて、広まるが故に、いつかありきたりになって、追いつかれる。 進歩のスピードは、維持できない。 自分が医師になって

  • 治癒イメージの描きかた - レジデント初期研修用資料

    研修医の頃、重篤な脳梗塞の患者さんを受け持った。上司に「どうしますか?」なんて治療の方針を尋ねたら、 「立派な寝たきり老人にして返す」という返答をいただいた。 あれからいろんな上司に「どうしますか?」を訪ねたけれど、科によって、その人の性格によって、 返ってくる答えは様々。すごい返答。熱い返答。誠意のない返答。答えはいろいろだったけれど、 「どう」の中に入るのは、みんな行為のイメージ。患者さんの治癒という、 結果をイメージしながら戦略を考える人は、やっぱり少ない印象。 みんな精霊さんを信じてる みんなたぶん、どこかできっと、「精霊」の存在を信じてる。主治医の努力をどこかで見ていて、 超常の力を発揮して、受け持ち患者さんに治癒をもたらす精霊。 外科医はみんな、悪そうなところを全部とったら、あとは精霊さんが何とかしてくれると信じてるし、 麻酔科の人達は、血圧とか脈拍とか、外から見える数字を一定

  • レジデント初期研修用資料

    研修医(当院ではレジデントと呼んでいます)のためのマニュアル類です。 出てくる症例、研修医のエピソード等は、全て架空のものです。 医療従事者以外の方が読むと、不愉快な表現があります。ご了承ください。 内容の引用、改変は自由です。内容に関しては、一切責任をもてません。 時間があったら、こちらも読んでください。

  • Thinkpad 覚え書き - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります Thinkpad A30 という、7年来使ってきたノートパソコンを買い換えた。 T61 という新型。 初期設定のメモ書き。 Windows XP の設定 Windows XP は、買ったままで使うとなんだか軽快感に乏しいので、余計な機能を止めた。 WindowsXPの設定方法を公開しているサイトを参考にして、 余計な機能をOFF にしたり、「マイドキュメント」のフォルダを、ディレクトリ直下に移動したり。 代表的な設定ツール窓の手、 もう少し細かい設定を行ってくれるtuneapp をダウンロードして、それぞれなんとなく軽くなるように設定した。 クリックひとつでできる設定ばかりで、レジストリを編集するとか、 怖いことは一切やっていないけれど、ずい