朝霞市役所の近くの住宅地の真ん中にとうとう巨大パチンコ店が開店する。 駅の真ん前から並ぶ大型パチンコ店、商店と関連のない状態でぽつんぽつんと散在する大型スーパー、目立つ大型駐車場、マンションの乱立、隅っこに追いやられるバス停、不便なバス路線網、町おこしだけは立派で商店のない商店街、人が多すぎて市民が動員でしか参加できない祭、公共サービスの量・質の圧倒的な不足、地方政治家たちの質、都市の評価が問われているのに、この都市の固定資産税がどうしてこんなに高いんだろうと思う。 ●で、税金を取るだけ取って、市民協働指針では市民参加のツールが「パブリックコメント」だけ。双方向の意見交換の仕組みは前市長の遺産の仕事以外ほとんどない。 ●この開店した土地、30年ぐらい前の参院のドン故玉置和郎氏の私邸のあったところと、上田知事を熱烈に支援していた元県議の経営する木材店の所有地であったところではないか。 ●ちく
もう何度も言っているんだけども。 ニッセイ基礎研究所の遅澤研究員が、「子育て支援の現物サービス給付はナンセンスである」と題してコメントを書いている。 都市部のニーズの中心は保育サービスであろう。待機児童問題がなかなか解消されない中、民間の託児所に子どもを預ける場合、子ども手当てではとても賄いきれないと、親の不満も強かった。また、マスコミもこれを後押ししたからであろう。 と課題設定しているのはよい。その後、結論を新古典派経済学の公式にあてはめようとしてとんちんかんなことになっている。保育サービスは現物サービスにほかならないのに、どうして現金給付でよしとなるのかがわからない。 今、都市部で足りないのは、現物サービスにほかならない。現金をいくら積まれたところで、施設も人材もきちんと供給される体制が整備されていないことに多くの保護者が困り果てている。 その証拠に、ここ2年ぐらいは自治体がある程度の
七夕だというのにちっともロマンチックなこと書けない自分がいて。 濱口桂一郎センセのブログから、面白い話題。 「POSSE第4号つづき」 私が高校生の頃から、ずっと違和感を感じてきた議論の仕方を、ここで出てくる杉田俊介と増山麗奈に感じしている。 後藤和智氏が、若者論が政治や経済などの社会問題であるのにアイデンティティの問題として議論されてきたことに異議を言えば、増山麗奈氏が、正社員幻想を棄てろ、と言い放つ。いかにもゲージュツ肌の若者が言いがち。ゲージュツができなくても善良に生きることができる人間にとって、安定して働けるということが否定されることほど悲惨なことはない。そこがわからないで、社会に反抗しているふりをしているから成長しないように思う。 杉田氏は、後藤氏の議論に対して、何か具体的なことをしろ、というようなわかったようなお説教。 後藤和智氏ほど緻密な議論もできないし、論理的でもない私だが
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