ブックマーク / monado.hateblo.jp (2)

  • ヒュー・ケナー「機械という名の詩神」 - モナドの方へ

    テクノロジーが文学にいかなる影響を与えたか? を検証するという著作。 電子機器が発展した今でこそテクノロジーと文学という繋がりは容易に連想できるものの、これが書かれた1987においてはなかなか受け入れられなかったのではないかと予想される。今になって翻訳されたのもむべなるかなというものだ。 エリオットは観察する 一見するとなんということはないエリオットの詩の中に、都市化されてゆくロンドンのテクノロジー、メディアの変遷が見て取れるという指摘は面白い。エリオットの観察眼もさることながら、それを発見するケナーの手腕に驚かされる。 パウンドはタイプを打つ 詩を記述する上で、タイプライターというハードウェアと辞書などのソフトウェアが、ある種の集合知としてパウンドにひとつの様式を与えたという論。システムはいつでも、意識的に、あるいは無意識的に人々に影響を与える。 ジョイスは書写する フィネガンズ・ウェイ

    ヒュー・ケナー「機械という名の詩神」 - モナドの方へ
  • 「超文学Tの肖像」 - モナドの方へ

    万人にあたえる書、何人にもあたえぬ書 ――ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」 思うに、その書物は生まれるべくして生まれたのだろう。超文学的な構想によって企てられた恐るべき書物は全人類に対しての挑戦として投げかけられた。その書物に言及する前に、どのような経緯によって記されることになったのか、どのような人物が記したのかを説明しておかねばなるまい。 著者であるT氏は、生まれて一年にも満たぬうちに母国語をマスターした早熟の天才であった。両親の早期英才教育が劇的な作用をもたらし、よちよち歩きを始める頃には英語を完全に修得していた。その後も、ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、各種アラビア語、中国語、ハングルを苦もなく咀嚼し、それも母国語として使用している者よりも巧みに読み書きしてみせては周囲を驚かせたのであった。十代に差し掛かる頃にはヨーロッパ−アジア言語が綯い

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    objectO
    objectO 2007/10/30
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