ブックマーク / maplecat-eve.hatenablog.com (5)

  • ビクトル・エリセへの白紙委任状 - maplecat-eve’s blog

    映画作家への白紙委任状シリーズ。今回はビクトル・エリセのセレクションを紹介します。『ミツバチのささやき』30周年記念(2003年)の写真を見て、過ぎ去った年月に胸が熱くなりました。アナやイザベルが過ごしてきた年月。年を重ねることって素敵だなと思える写真だった。久し振りに見直したい。さて、ビクトル・エリセが選んだ以下のリストは、かなり攻めのセレクションです。とても面白い。 【パリ、2007年】 ・『糧なき土地』(ルイス・ブニュエル/1933) ・『ブラック・ハウス』(フォルーグ・ファッロフザード/1962) ・『秩序』(ジャン=ダニエル・ポレ/1973) ・『希望 テルエルの山々』(アンドレ・マルロー/1939) ・『アナタハン』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ/1953) ・『乳房よ永遠なれ』(田中絹代/1955) ・『春の劇』(マノエル・ド・オリヴェイラ/1963) ・『大きな鳥と小さな

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  • 2013年ベストシネマ - maplecat-eve’s blog

    年が明けてからこの記事を読むという方には、新年明けましておめでとうございます。一年の終わりの日にこの記事を開いたという方には、よい新年が迎えられますようにと、一年の始まりと終わりのご挨拶。さて、恒例の年間ベスト。例年20に纏めるようにしていたのだけど、今年は25。最後の5を「その他」にすることができなかったというのが理由。個人的なことだけど、2013年は長く愛着を持っていた仕事が不安定になってしまい、最終的に仕事を辞めざるを得ない状況になり、間違いなくこのブログを始めてから一番映画館に足を運べなかった年だった。そんな状況の中で優れた映画に触れたときただ思うのは、一の作品はそれ単体では決して人生にはならない、という当たり前のことだった。映画はスクリーンに映し出される知らない誰かの時間と共に生きる装置でもある。いかにその時間を共に生きることができたか。だから一年の終わりにこうやって振り

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  • 第2回「ペドロ・コスタ特別講義」@造形大学 - maplecat-eve’s blog

    現在来日中のペドロ・コスタの特別授業ということで、昨年行われた第1回講義の感動を反芻しながら、いざ造形大へ。前回と違うのは一年前には知らなかった方を含む4人で造形大に向かえたこと。ささいなことだけど、いつの間にか自分を取り巻く関係性というものも、ちょっとずつ変わってきているのかな?ということを講義後に感じた。ペドロ・コスタが繰り返し言うように、すべては関係性の中にある。関係性の中ですべての思考や変化は生まれる。諏訪監督が講義の最後に残した言葉の言外/言内には、おそらく日に住む誰もが避けられない記憶をさえ含んでいるだろう。私にとっても今年はいつもより大変な年だった。このタイミングで、いま一度、ペドロの言葉と向き合うこと、その言葉と関係性を築くことの喜びに感謝したい。個人的に今回の講義では思わず涙ぐんでしまうシーンもあった。では、講義レポ。一字一句まで正確な言葉の採録というわけではないと断っ

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  • 『ルート1』(ロバート・クレイマー/1989) - maplecat-eve’s blog

    アテネフランセ、クリス・フジワラ氏による連続講義「アメリカ映画における時間とパフォーマンス」にて初ロバート・クレイマー。255分。其処に描かれているアメリカの社会史/個人史への非常に透明度の高い、痛みの批評を語る以前に、まず、とにかく面白い映画だった。主人公ドクがジャケットを纏いドアを開ける冒頭の数ショットから、犯罪映画の密入国シーンのような切迫した雰囲気が炸裂するや、なんと『イントゥ・ザ・ワイルド』(!?)の如く渓流の全裸泳ぎが始まり、これって最強のアメリカ映画じゃないですか!と驚きの連続。ワイズマンの如く素早く切り替る空絵。嗚呼、『マイルストーン』を見逃したことが当に悔やまれる、、。 クリス・フジワラ氏の「可変的な国境」という言葉が面白かった。船舶や大橋、建造物の撮り方が、まるで「アメリカ」という巨大な建築物を恐れるか、又は意図的に誇示するかの如く、下から見上げるようなスペクタクルな

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  • 2009-11-24

    フィルメックスにてツァイ・ミンリャンの新作。アジア圏の映画作家がフランス資映画を撮り成功する昨今の例に洩れず、ツァイ・ミンリャンの新作は大変に興味深い仕上がりになっている。ただ恐らく『ヴィサージュ』やツァイ・ミンリャンの過去作を全く評価できないという人は多いと思う。ショットとショットのスリリングなせめぎ合いが最小限に抑えられていることから、ツァイ・ミンリャンの作品に活劇的要素を探すのは難しい(この人は活劇が全く出来ないのではなく、評価の是非はともかく、やらないという選択だと思う)。また各シーンの始まりに特徴的なのだけど、シーン頭に相当に狙いすぎなくらい奇抜なアイディアやアングルを持ってきて滅入る寸前まで長回しを展開させるという、気に入らない人は当に気に入らないのかもしれない。個人的にも作と同じくジャン=ピエール・レオが参加した『ふたつの時、ふたりの時間』を除くツァイ作品にノレなかっ

    2009-11-24
    obon-kobon
    obon-kobon 2010/01/02
    >どこまでも音符のようなダンス。
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