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事件と考え方に関するobsvのブックマーク (2)

  • はあちゅうと会話が成り立たない理由を解説する

    なぜはあちゅうが今さら創作の話を持ち出すのか、普通に生活していると理解できない。しかし、はあちゅうの立場に立ってみれば簡単にわかる。 端的にいうと、はあちゅうは『コンテンツ』でもあり『人格』でもあるという微妙な立場にある。そしてこの立場では絶妙な立ち回りが必要なことに気づいていない。 『コンテンツ』のコードはゆるい。セクハラするキャラであればセクハラ描写が許されるのがコンテンツの世界だ。セクハラキャラの芸能人がツイッターでセクハラツイートしてもよほどのことがなければ炎上することはない。 『人格』のコードは複雑な上に厳格だ。人格のコードに正解はほとんどないので「嫌われる」「好かれる」のラインを暫定的に採用するしかない。ポリコレは現代社会ではそれなりに無難な指針になる。 一般人の生活はコンテンツではないので人格のコードだけで生きていけるし、コンテンツとしてエッジを立たせる必要がない以上コードギ

    はあちゅうと会話が成り立たない理由を解説する
    obsv
    obsv 2017/12/22
    “セクハラを告発したりするのは人格にしかできない。通常運転の彼女のツイートは(*1)コンテンツに徹しているのかも知れないが、セクハラ告発をしてしまったらそのアカウントは人格にしかみえない。”
  • 日本教と原子力問題 - アンカテ

    原子力問題の中核には日教という問題があると思う。 山七平の「空気」 阿部謹也の「世間」 河合隼雄の「中空構造」 岸田秀の「内的自己と外的自己の乖離」 井沢元彦の「言霊」 この人たちをはじめ、多くの人が日人の精神構造とそこから来る社会の構造に、何か独特の要素があることを指摘してきた。このエントリでは、それらを総称して「日教問題」と呼びたい。 この日教問題がある為に、他の国や他の社会と比較して、日人は以下のことが苦手になる。 自由闊達な議論 危機的状況でのトップダウンの意思決定 科学的な論理に基く客観的な状況判断 原子力のような巨大技術を扱う時に、これが深刻な問題となる。 そして、一番まずいのが、こういう日独特の社会構造を分析することを拒む構造が日教問題そのものの中に、深く埋めこまれていること。 それを象徴するのが、マル激の小出裕章さんへの次のインタビューだ。 この中で小出さん

    日本教と原子力問題 - アンカテ
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