小説を書くという行為の上における人称選択の重要性というのは、わりと色々あると思っているんですが、たとえば、一人称で書く、という場合に、自分と近い属性の人間を設定するか否か、というところはひとつのキーポイントになるんじゃないかと思っています。属性の近い人間であるほど、作者の自意識が直接的に反映されやすくなり、属性が遠くなるほど、自意識は薄くなる(あるいは別のものに変質する)……のではないか。 属性の振り幅というのはいろいろなものがあって、年齢もあれば、職業もあり、住んでいる国や時代、価値観とかもろもろなのですが、その中に“性別”というのが入るのかもしれません。ただ、性別というのは程度差に過ぎないので、たとえばよく女性に間違われるという長嶋有は“性別によって性格が変わるということを信じていない”ということを言っていたように思います*1。 異なる性を一人称に据えて小説を書くというのは、別に“異性