ブックマーク / www1.odn.ne.jp (3)

  • 真鍋昌平『闇金ウシジマくん』――呉智英の「平板さ」にもふれて - 紙屋研究所

    真鍋昌平『闇金ウシジマくん』 ――呉智英の「平板さ」にもふれて ※9巻の感想はこちら 前回につづいてまた呉智英ネタで申し訳ない。 前回ぼくは、呉について、オタク的知識の幅広さ、古典や教養をひも解くペダンチズムゆえに面白いけども、その論じ方に「平板さ」があって、それは呉が戦後民主主義や左翼的良識への対決を売り物にしてきたために、その仮想敵の影響力が小さくなった現在では単純な対決図式だけが残ってしまったことを起源にしている、というむねを述べた。 この「平板さ」について、『団地ともお』や梶原一騎、近藤ようこの作品などを例にぼくはのべたが、たとえばそういう「平板さ」は、『闇金ウシジマくん』の読みなどにも現れてしまう。 呉は『マンガ狂につける薬 下学上達篇』において、「爛熟した文明に出現した『下流』」と題して、三浦展『下流社会』とあわせて真鍋昌平『闇金ウシジマくん』を評している。 はじめに結論を書い

    ogiso
    ogiso 2007/06/17
  • 武富健治『鈴木先生』→『鈴木先生』3巻の「解説」を書きました

    武富健治『鈴木先生』 ※ネタバレがあります ※『鈴木先生』3巻の「解説」を書きました 「その苗字が示す通り、鈴木先生はごく普通の人であり、ごく普通の人が、まるで『神』かその使徒であるような聖人君子として理想の教師像に気で向き合ったとき、どのような苦悩になるのか、この作品は見事に描き出している」(宮大人/毎日新聞夕刊06年10月31日付「マンガの居場所」)。 1巻が出て読んだとき、すでにネットでは話題になっていた。 面白い作品だとは思ったが、ネット評が「絶賛」にちかいものばかりだったのには違和感が残った。漫棚通信ブログ版が1巻について「この作品、フツーに、まじめに、リアルを描いてるだけに見えます」と淡々とした評価を書いたのに、親近感を覚えた。 http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/index.html まず、ぼくが1巻のさ

    ogiso
    ogiso 2007/06/14
  • 紙屋研究所 - 矢沢あい『NANA』

    矢沢あい『NANA』 矢沢あいの『NANA』を「しんぶん赤旗」のコラムでとりあげさせてもらった。 これだけウケている作品だから、「どう受け入れられているか」「なぜウケているのか」という「受け手論」で扱うのが一番いいだろうと思い、愛好者にアンケートをおこなって、それをぼくが『NANA』から読みとったものを重ねる、という方法をとった。 実は、ぼくのあと日曜版で1ページの『NANA』特集が出て、さらにそのあと日刊紙で似たような特集が載り、どれも似たような分析・記事になっていた。 日付的にはぼくが一番先になったが、おそらく記事の準備はまったく同時平行だったのではないだろうか。ぼくは記者ではないので、そのへんの事情はよく知らないのだが。結果的に字数が圧倒的に少ないぼくのコラムは一番うすいものに……orz ぼくが感じとった『NANA』の「ウケている要素」は、以下の3つである。 (1)絵柄やセンスの先鋭

    ogiso
    ogiso 2005/11/28
  • 1