ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (6)

  • 『それでもボクはやってない』 - Arisanのノート

    周防正行監督の11年ぶりの新作は、痴漢行為の冤罪裁判を扱ったものだが、まさに「世界レベル」というしかない大変な傑作に仕上がっている。 ここ数年の、犯罪や裁判を扱った世界中の映画のなかでも、その完成度においてトップクラスに入る出来だろう。 この作品の土台にある、監督の社会に対する意識、感情というものははっきりしている。 それが端的に示されているのは、たとえば役所広司の演じるベテラン弁護士が、ある冤罪的な事件の被告の無実を勝ち取ろうとして挫折することになった若い弁護士を叱咤する場面である。 『われわれが相手にしているのは国家権力だぞ。そんなことぐらいでへこたれてて、勝てるわけがない』 そういうふうに言う。 つまり、警察や司法制度を含む国家権力、そしてその行政機構の歪んだあり方に対する批判と対決の意志を持つ人たちの姿が、強い共感をこめて描かれている。 だが、ここで批判的に語られている「国家権力」

    『それでもボクはやってない』 - Arisanのノート
    ogiso
    ogiso 2007/03/06
  • 大統領の理髪師 - Arisanのノート

    韓国映画『大統領の理髪師』を見た。 6〜70年代の韓国社会の歴史を背景に、大統領官邸直属の理髪師となった一人の中年男の哀歓を描いている。前半は特にコメディー調に、後半非常に辛い話となるが、ペーソスと虚構を作り上げる精神を忘れず、見事な娯楽映画、かつ歴史の物語、しかも人生ドラマに仕立てている。肩に力の入ったところや、余計な気取りのない映画だが、たいした出来栄えである。ひきこまれて見た。 主演は『JSA』、『殺人の追憶』などで知られる名優ソン・ガンホ。もちろん、名演。また、『オアシス』で強烈な演技を見せたムン・ソリが、打って変わった役どころを好演している。他に重要な役どころとして朴正煕大統領を演じるチョ・ヨンジン、その下にあって激しい確執の果てに79年10月26日の大統領暗殺事件を招来してしまう警護室長と中央情報部長をそれぞれ演じたソン・ビョンホ、パク・ヨンスも、それぞれ達者な演技だった。もち

    大統領の理髪師 - Arisanのノート
    ogiso
    ogiso 2005/04/19
  • 『殺人の追憶』 - Arisanのノート

    以前から見たいと思っていた韓国映画『殺人の追憶』を、ようやく劇場で見ることができた。 殺人の追憶 [DVD] 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント発売日: 2004/08/27メディア: DVD購入: 2人 クリック: 28回この商品を含むブログ (109件) を見るこの映画は、去年のキネマ旬報のベストテンでは、『ミスティック・リバー』に次いで外国映画部門の第二位にランクされていた。実際に見て、たしかに犯罪映画としても、またある国のある時代における人々と社会のあり方を描いた「人間ドラマ」としても、第一級の作品だと思った。 また、『ミスティック・リバー』と対比しても、色々なことを考えさせる。 ストーリーについては、すでに多くのところで語られていると思うし、上のURLにも詳しく書いてあるので、ここではあまり触れない(でも、以下の文は滅茶苦茶ネタバレです)。 映画のはじめに、こ

    『殺人の追憶』 - Arisanのノート
    ogiso
    ogiso 2005/04/04
  • 『<自己責任>とは何か』を読む - Arisanのノート

    桜井哲夫著『<自己責任>とは何か』(講談社現代新書)。 「自己責任」とは何か (講談社現代新書) 作者: 桜井哲夫出版社/メーカー: 講談社発売日: 1998/05メディア: 新書購入: 3人 クリック: 138回この商品を含むブログ (22件) を見る この書名だけを見た人は、昨年イラクで起こった日人人質事件に関することを題材にしたと思うだろう。ところが、このの出版は1998年である。イラクでの事件とは直接には何の関係もない。当は関係あるのだが。 90年代の後半、日社会では、「市場の開放」とか「規制緩和」が叫ばれ、いわゆるグローバル化の流れの中で「日社会の特殊性」への批判が高まった。そのなかで、「自己責任」という言葉が濫用されるようになった。 「金融ビッグバンの時代は預金者の自己責任が重要」とか、「女性が恋愛をして結婚相手を選ぶのも自己責任で」といった具合だ。 このは、そう

    『<自己責任>とは何か』を読む - Arisanのノート
    ogiso
    ogiso 2005/04/04
  • ジョン・セイルズの二本 - Arisanのノート

    「ニューヨーク論」でレジュメを書かないといけないという友だちがいて、ネタになりそうなはないかということだったので、カフカの『アメリカ』を勧めた。ニューヨークははじめの部分にしか出てこないのだが、当時の(ヨーロッパから見た)「アメリカ」の姿がよく描かれている、と思う。 移民の少年が船でニューヨークの港に着いて、だんだん内陸に入っていくという話。書き出しの「自由の女神」の描写で、なぜか女神が剣を手にしていることになっているのが有名だ。これについては、色んな解釈がある。 カフカはアメリカに行ったことがないのだが、興味を持って雑誌などを集めていたことはよく知られている。あの小説は、ほんとに「見てきたように」書いてある。カフカらしいところだが、もっと長生きしていたら行っていただろうか。 後になって、ニューヨークを題材にした印象に残る映画があったのを思い出した。 それは、ジョン・セイルズという監督が

    ジョン・セイルズの二本 - Arisanのノート
    ogiso
    ogiso 2005/04/04
  • 『日本の、これから』補足 - Arisanのノート

    きのうのこのエントリーだが、あまりにも言葉が足らなかったと思うので、若干補足しておきたい。 たとえば議論のなかで、堀江氏は、自分が特別に恵まれた階層の出身ではなく、ものすごく努力を重ねてきたこと、そしてチャンスを逃さずつかんだことによって成功したのだということを強調する。そこから、いまの世の中は誰でも努力すれば大きな成功をつかむ道が開かれている社会、すくなくともその方向に向かっているのだと結論する。同様の見解を、何人かの成功した若手実業家のような人たちが示し、収入に格差があったり就職先を見つけられなかったりするのは、結局人の努力が足りないからだという主張を行う。 彼らが人並み以上の努力をしたというのは事実だろうが、同じほど努力をしても報いられない人はたくさんあるだろう。つまり、自分のケースが、非常に稀な成功例であった可能性はあるわけで、「自分は努力した結果成功した」という自己の体験だけか

    『日本の、これから』補足 - Arisanのノート
    ogiso
    ogiso 2005/04/04
  • 1