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ブックマーク / ameblo.jp/kurikiyama (9)

  • 栗城史多『終わらない旅』

    生きることは、決して簡単なことではない。 息をして、目を開き、足を前に出して、一瞬一瞬の今を生きること。 その尊さ、そして難しさを、僕は風の吹き荒れる秋季エベレスト高度8000m地点で感じていた。 山を登ることは、それほど難しくはない。 山に登り続けること、そして生き続けることが難しい。 頂に登ることができても、また頂に向かうだけ。 ずっと僕はその頂の先にある世界を目指し、誰も登ったことのない自分の山を登り続けていた。 その山はマッキンリーから始まり、8000m峰三座を登り、秋季エベレストと、まるで山脈のように長い縦走。 振り返ると、ずいぶん高い所までやってきた。 その遥かなる頂は、それほど遠くなく、あと少しで到達できるかもしれない。 2012年秋季エベレスト西稜。 未だに忘れることはなく、登り続けている山。 10月17日、標高7500mのキャンプ4。 テントの入り口から、目の前にエベレス

    栗城史多『終わらない旅』
  • 栗城史多『「最後」の意味(秋季エベレスト西稜出発まであと10日)』

    秋季エベレスト西稜出発まで残り10日。 10日といっても自分の中では区切りはなく、もう2009年からずっと日に帰国しても永遠登り続けているような日々です。 遠征中は、動画やブログの更新をしますが、普段は全く更新をしません。無理に作り笑いをするのは止めようと思い、パソコンに向かうのは企画書作りやメールの対応のみで、ブログで自分の気持ちを書くというところまでいけませんでした。さらに最近は日常だけではなく、遠征中の文章の量も昔に比べると減って行く一方でした。それは何なのか。自分ではわかっていました。 それはこの「見えない地上の山」の高さと、それを登り奔走する日々で書ける気力が失われ、更に深刻な状況になっていたからです。 もうすぐ遠征を迎えますが、今年のエベレストは最後になるかもしれないと思っています。だからこそ、当の「栗城史多」を知ってもらい、少しでも僕の冒険をきちんと理解してくれる人がいた

    栗城史多『「最後」の意味(秋季エベレスト西稜出発まであと10日)』
  • 栗城史多『道なき道を〜秋季エベレスト2011〜』

    道は長くても歩き続ければ必ずたどり着くことができる。「そこは道じゃないよ」と言われてもさらに突き進む。僕は誰かが辿った道が道ではなく、自分の道を歩みたい。道は開けるものではなく、歩き続けることで振り向いたら道になっている。道なき道を歩き続けていく。 三度の目の秋季のエベレスト。日に帰って来て、しばらくは寝ていても突然起きたり、まだ自分がベースキャンプにいるんじゃないかと錯覚をする。まだ頭の中に、あのヒマラヤの冷たい空気が残っていた。 講演を行う日々、日を周り、沖縄では久しぶりに青い海を見た。沢山の人達と出会うことによってようやく自分の気持ちが地上に降りてきたような気がする。 でも気持ちが落ち着くことができたのは、ベースキャンプで亡くなった山岳カメラマンの木野さんのご家族に会いに行ったことだろう。 帰国後、僕は休む暇もなく走り続けている。エベレストは終わっていない。今も登り続けている。そ

    栗城史多『道なき道を〜秋季エベレスト2011〜』
  • 栗城史多『この先にエベレストがある(エベレスト登頂まであと17日)』

    氷河地帯を登って行くが、地震の影響で大きな雪崩があり ルートがなくなっていた。 セラック帯を越えて上にあがると視界はなくなり、 どこかの雪原を歩いているようだった。 この先に当にエベレストがあるのかと思うくらい視界はなく、 そしてルートもなくなっていたが、 無事にキャンプ1に着く事ができた。 木野さんはまだベースキャンプにいるような気がする。 入り口で何度か木野さんの匂いを感じた。 霊的なものなのか何かわからないが、 いつもテントの入り口近くに座っていた木野さんの匂いを 感じ取る事ができた。 ベースキャンプを出発するとき、1分間の黙祷を木野さんに捧げた。 2日前の司法解剖の結果では、高山病でもなく滑落でもなく、 自然発生したくも膜下出血という結果が出た。 前兆はなく、気付く事は難しいそうだ。 でもそれを見抜く事ができなくて、当に悔しい。 氷河を出発して、木野さんが空を向いて寝ていた所の

    栗城史多『この先にエベレストがある(エベレスト登頂まであと17日)』
  • 栗城史多『悲しいお知らせがあります』

    高所順応ステージが開始された昨日、悲しい事故が発生しました。今日はキャンプ2まで登る予定でしたが、今、僕はベースキャンプにいます。 撮影サポートのためにベースキャンプに来ていた山岳カメラマンの木野広明さん(48)が昨日、ベースキャンプ周辺の氷河で亡くなりました。 今朝、ヘリコプターで木野さんのご遺体をカトマンズに搬送。門谷隊員も一緒に同乗し、事故の対応をしています。 エベレストにかかる雲が徐々に開けてきていますが、ベースキャンプは悲しみに包まれています。滑落した様子もなく、急性の高度障害の様子もなく、「なぜ?」という疑問と、悲しみでいっぱいです。現在、遠征は中止している状態です。 木野さん救援に駆けつけた隊員とシェルパ、第一発見者のSPCC(アイスフォールに梯子をかけたり、ベースキャンプの管理をするネパールの政府関係団体)の話をまとめて、事故の状態を詳しく書かせて頂きます。 木野さんは、急

    栗城史多『悲しいお知らせがあります』
  • 栗城史多『遥かなる頂〜そして、エベレストへ』

    「無事に帰って来れますように」 ドアを開ける前に整理された部屋を眺めて、必ず心の中で呟く言葉。いよいよエベレストをみんなとシェアする「エベレストシェア」の遠征が始まる。この日を迎えるために、一日足りともエベレストのことを考えない日はなかった。苦手な分野の仕事もこなし、エベレストからの中継、「冒険の共有」も資金は目標金額まで届かなかったが、規模を小さくしてでも中継を行うことができるようになった。 あとは、僕が登ること。この秋のエベレストはほとんど人がいない。これまでに2回、登頂が難しいとされる秋を選んできた。今年も秋の厳しい風とどこまでも重くのしかかる雪を楽しみたいと思う。 エベレストは、僕にとっては終わりではなく、始まり。ここから僕がやりたかった当の冒険が始まる。そして、2011年の春にそれを迎えることができた。当はエベレストを終えてから登るはずだったシシャパンマの南西壁8027m。こ

    栗城史多『遥かなる頂〜そして、エベレストへ』
  • 栗城史多『好きになるのは危険な関係(シシャパンマ登頂まであと24日)』

    ナマステ。 今、僕は標高3800mのニュエラム村に来ています。 この村には、もう4回も訪れている。この村がチベットサイドの山を登る玄関口。 今日はシシャパンマが見えた。雲で頭の部分だけを隠している。もし顔が見えても横顔だけ。僕が見たいのは南西壁の正面の顔だ。山に一目惚れしても仕方がないが、今はその表現があっている。 実はこのシシャパンマ南西壁は、エベレストの単独・無酸素登頂を終えてから始めようと思っていた計画。エベレストを登り、「冒険の共有」という夢を終えた後に、いよいよバリエーションルートへと考えていた。実は、エベレストが終わりではなく、始まりだったのだ。 しかし、2度のエベレスト失敗。秋という難しい時期をあえて選んできた。 周りの山の先輩からは「絶対に春にしておけ」と言われるが、人の多い春ではなく、より山を感じられる秋にしたい。自分でも当に頑固だと思うが、今では妥協しないできて良かっ

    栗城史多『好きになるのは危険な関係(シシャパンマ登頂まであと24日)』
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