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2010年4月27日のブックマーク (5件)

  • とりとめもなく - 素通りできなかった時のために

    とりあえず、何か別のことを最新エントリページにしたいので、書くだけ。 読み返しはするかもしれないが、今回はあまり校正しないつもり。 ・・・・・・・・ 内心の自由は保証されていない云々のエントリを読んだ当初は頓珍漢な感想しか浮かばなかったが、いろいろフォローエントリーなどを読んで、これはかつて交わされた「表現の自由にヒモ」論議に近いところにあるのだな、と思った。 その流れでいけば、内心の自由を声高に主張するという「行為」は、あくまで行為として、批判対象となるだろう。 だがしかし、かつては少なくとも、「儀礼的無関心」は容認されていたのではないか。 今もそれは容認されているのか。 恐らく容認されてはいるのだろうが、そう取らない人がいないかどうかというのは気になるところ。 私の勝手な用語法では、儀礼的無関心を容認するということは、内心の自由を容認するということだ。容認というか、容認するも何もひとつ

    とりとめもなく - 素通りできなかった時のために
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2010/04/27
    >最終的に犯罪者とそうでないものを分けるのは「良心の有無」だけかというと、少し違うのではないか/そもそも「良心」とは個々の価値観で違うのか、ある程度共有しうる部分があるものかという議論になるかな
  • 凍りつく世界と無知の涙 - VICTIM OF THE CRIME

    社会学, 法 | 17:54 |  昨年だったかNHKで永山則夫を扱ったドキュメンタリーを放映していて、久しぶりに棚から永山則夫「無知の涙」と見田宗介「まなざしの地獄」を引っ張り出して読み直したことを思い出した。  最初にこれらのを読んだとき、知人に薦めたところ「いやいいよ読まなくて」「なんでそんな読んでるんだ気持ち悪い」と言われたことも。  説明が必要かどうかは微妙なところだが、永山則夫といえば、あの有名な「永山基準」と呼ばれる死刑判決の基準が示されることとなった連続射殺事件の死刑囚である。  「無知の涙」は、逮捕時点では識字能力を持たぬサヴァルタンであった永山が、長い留置生活の中で独力によってそれを身につけ、そして膨大な読書歴を積んでいくうちに己の罪をマルクス主義によって自己規定していく様を克明に記したひとつの記録である。  「まなざしの地獄」とは、そんな永山の罪と罰を、社会学者

    ohnosakiko
    ohnosakiko 2010/04/27
    重要/>だが、永山の生を裁き得た法とは「良心」などという手垢にまみれたセンチメンタリスムなどではなく、犯罪という隘路へと追い込まれずに済んでいる我々多数派の「合意」にほかならない。
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    ohnosakiko
    ohnosakiko 2010/04/27
    >id:yotayotaahiru 疑義をもつ人を自分を虐めていると思ってしまう傾向があるのかなという印象を抱いてます。やりとりの後でハイクに「フェミニズムジェンダー論を語る人に嫌われ」とかあり。そういうこっちゃないんだけど
  • 『意図や目的より手続きを重視するということ - 地下生活者の手遊び』へのコメント

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    『意図や目的より手続きを重視するということ - 地下生活者の手遊び』へのコメント
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2010/04/27
    ※欄「学会並みの論文を求められる」/ひょぇえ、知らんかった!はてなってなんて怖いとこなんだ!!!/↑何か議論になると「はてな学級会」と揶揄する人はたまに見ますね
  • 意図や目的より手続きを重視するということ - 地下生活者の手遊び

    以下は http://h.hatena.ne.jp/manysided/9236557630630465306 への反論。 ハイクで応答しようと当初は思ったけれど、長くなったし大事な論点も含むのでエントリという形にしますにゃー。 応答します>id:manysided 前回のエントリでも書きましたが、宗教権力というものは「善」を他者に求めるものだといえるでしょう。それに対して、他者危害行為を禁じるのが自由主義における世俗的な権力です。他者に対して善を求めることと悪を禁じることには大きな違いがあります*1。 なぜなら、善というものは人によってさまざまな形をとるものだからです。それに対して、危害というものはある程度客観的に定めることができます。 はてこ氏の議論は、「良心」を他者に求めるものでした。 これは基的に宗教のロジックです。自らの信ずる「善」「良心」を他者に求める論法に対しては、「僕には

    意図や目的より手続きを重視するということ - 地下生活者の手遊び
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2010/04/27
    コメント中/まあ今になって思うと彼女は議論する気はなかったんだろう。そういうのもありだけど、リンクして半ば批判的に言及した記事があったら、議論にならない方がおかしい/「表現の自由」についての記述重要