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2014年2月7日のブックマーク (3件)

  • 聴くことの困難?: 新垣隆ゴーストライター問題で新たに生産される物語 - khdaの日記

    佐村河内守氏のゴーストライター問題がいま話題になっている。18年間にもわたってゴーストライターをつとめた新垣隆氏とはいったいどんな人物なのかと、誰もが気になるところかもしれない。 その新垣氏について、仲山ひふみさんという方が書いた「聴くことの困難をめぐって」というはてなブログのエントリーが人気を集めている。これを読んでみたのだが、少し「?」と思わせる内容だったのでメモしておきたい。 そのエントリーでは、新垣氏の作品《交響曲第一番「HIROSHIMA」》が論じられている。この作品についてエントリーの著者は、ヒロシマを題材にした過去の現代音楽作品の、いわばオマージュとして作られていると言いたいようだ。 佐村河内の交響曲第一番『HIROSHIMA』は、現代音楽におけるこうした「広島もの」の系譜に結びつく暗い音響、すなわち金管のトーンクラスターと音程変更しながらトレモロするティンパニ、鳴り止まない

    聴くことの困難?: 新垣隆ゴーストライター問題で新たに生産される物語 - khdaの日記
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2014/02/07
    新垣氏はあれらの曲について分裂した感情を持っていそう。今後、自分の芸術追求としての実験的な音楽、発注を受けて作る商業音楽という使い分けをしていくことに(大友良英のように)なるのかどうか興味ある。
  • より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~

    被爆二世、独学で音楽を学んだ全聾の天才作曲家と謳われた佐村河内守氏のほぼ全作品が、実際には桐朋学園大学の講師を勤める現代音楽作曲家・新垣隆氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。 メディアや音楽出版社のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、音楽そのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人は音楽にいったい何を聴き、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋に音楽を聴くのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋に音楽を聴くことなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。 私が初めて佐村河内氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例のNHKスペ

    より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2014/02/07
    そのジャンルを深く学んだ人ほど、新たな領域を切り開こうとするが売れず/大衆ウケするものは作れるけど自発的には厭だ、のジレンマを抱える。現代芸術のどんづまりと商業主義の隙間で必然的に起こったことかも。
  • 彼はなぜゴーストライターを続けたのか~佐村河内氏の曲を書いていた新垣隆氏の記者会見を聴いて考える(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    「佐村河内さんが世間を欺いて曲を発表していることを知りながら、指示されるがまま、曲を書き続けてた私は、佐村河内さんの「共犯者」です――「全聾の作曲家」として、NHKスペシャルを初め、あらゆるメディアで称賛されてきた佐村河内守氏のゴーストライターだった新垣隆氏が、2月6日、謝罪の記者会見を行った。 会見する新垣隆氏(都内のホテルで)今でも「共同の作品」佐村河内氏のCD18年間に20曲以上を提供。その中には大編成で80分にわたる交響曲もある。それも含めて報酬は700万円前後、という。この間、佐村河内氏はいくら稼いだのだろう。CDは、『交響曲第一番HIROSHIMA』は約18万枚、『鎮魂のソナタ』は10万枚以上売れたというが、新垣氏には一円の印税も渡っていない。それでも報酬引き上げを求めもせず、今でも不満を抱いていないようだ。 『交響曲第一番HIROSHIMA』では、佐村河内氏は「中世宗教音楽

    彼はなぜゴーストライターを続けたのか~佐村河内氏の曲を書いていた新垣隆氏の記者会見を聴いて考える(江川紹子) - エキスパート - Yahoo!ニュース