人口206万人の欧州の小国スロベニアで、第2次世界大戦直後の虐殺現場の発掘と遺体の収容が、昨秋から本格化している。ファシスト勢力やその協力者と見なされ、共産党を中心とするパルチザン勢力に殺された人は、数万人に上る。社会主義の旧ユーゴスラビア時代は語ることが許されず、民主化後も政府の対応は遅れた。犠牲者の尊厳回復や、歴史解釈の違いを超えた和解が期待されている。 スロベニア中部ラシュコ村の山中にフダヤマ炭鉱がある。中腹の入り口から水平に延びた坑道をまっすぐ奥へ約320メートル。さらに左へ約200メートル進むと、足元に大人がやっと入れる穴があった。ほぼ垂直に掘られた立て坑への入り口だ。木製はしごを下ろして十数メートル下りると、その先は粘土状の土で塞がれていた。 「上から遺体を落としてここまで積み重ね、あとから埋めたんだろう」 現場管理を担う元炭鉱職員のイワン・ケンダさん(73)が言った。 発掘は