『ブリグズビー・ベア』 ストーリーは更新されなくてはならない 1981年3月30日、ワシントンDC。25歳の青年ジョン・ヒンクリーは、その年に大統領へ就任したばかりのロナルド・レーガン暗殺を試みた。ヒンクリーはかねてからジョディ・フォスターのストーカーであり、大統領の暗殺に成功すれば、彼女に認められると考えていたのだ。いったいどのような理由により、彼が「大統領を暗殺すれば、意中の女優が振り向く」と、何の脈絡もないふたつの事象を関連づけたのかはわからない。しかしヒンクリーはそのような奇矯なストーリーに沿って生きていたのであり、レーガン大統領暗殺未遂事件が私たちに独特の憐憫を呼び起こすのは、犯人がかかるみじめな物語のなかでしか生きられなかったことの空虚さゆえである。 私たちはみなストーリーに沿って生きている。人は何らかの物語のもとでしか生きていけないからこそ、誰もが内部にストーリーを持ち、日々
アメリカで、「インセル」と呼ばれる一部の「非モテ」が過激化し、テロ事件を起こして社会問題となっている。興味深いのは、そんな彼らのなかにはトランプ支持者が多いということ。彼らのコンプレックスに満ちたメンタルや、「インセル 」という集団の由来を注意深く探っていくと、トランプを生んだアメリカという国の一側面が浮かび上がってくる。 続発する非モテたちの犯罪 今年の4月、カナダ・トロントの路上で、レンタカーが通行人に突っ込み、10名を殺害して多くに重軽傷を負わせるという事件が起こった。死者の多くは女性だった。 この種の攻撃からは、どうしてもイスラム過激派によるテロを想起してしまうわけだが、犯人は25歳のアレック・ミナッシアンという白人男性で、イスラム教との接点はおろか前科すらない人間だった。 しかし驚くべきことに、彼はある種の過激思想によって突き動かされた、まごうことなきテロリストだったのである。問
「東京物語」などの名作を手がけた日本映画の巨匠、小津安二郎監督が俳優の顔に手を伸ばしている写真が映画会社に残され、何をしているのか調べたところ、小津監督が独自の方法で涙や汗を表現していたことがわかりました。 映画会社の「松竹」に残されている当時の撮影現場を写した写真の中に、小津監督が原節子さんや笠智衆さんなど俳優の目元に手を伸ばしている同じような写真が5枚あったことから、松竹が関係者に話を聞くなど調査を進めてきました。 その結果、撮影助手を務めていたカメラマンの証言などから、監督自身が綿棒を使って目元にワセリンを塗るという独自の方法で涙や汗の輝きを表現していたことがわかりました。 松竹によりますと、この方法は積極的に公にする必要がなく、撮影現場の外に広く知られることがなかったということです。 調査を担当したメディア事業部の関根美千代さんは「監督がみずから俳優にメークをしているとは想像もして
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く