真夏の墨田区・錦糸公園。東京大空襲の仮埋葬地であったことを示すものは見当たらない=2019年8月2日、栗原俊雄撮影 1945年の3月10日、米軍機による東京大空襲で10万人が虐殺された。当時、東京都の施設で焼くことができる遺体は500体でしかなく、都内のあちこちで臨時の火葬場ができ、仮埋葬されたことは前回触れた。 仮埋葬の場所については、いくつかの記録がある。財団法人東京都慰霊協会が1982年に発行した冊子「戦災殃(おう)死者改葬事業始末記」(以下、「始末記」)には、71カ所が記されている。空襲直後からあわただしく仮埋葬された遺体は、戦後3年かけて掘り起こされ、改葬された。「始末記」はこれに関わった人たちの座談会や資料などが掲載されている。そのうちおよそ半分の38カ所は以下の通りだ(かっこ内は埋葬体数)。