定禅寺(じょうぜんじ)は、かつての仙台藩・陸奥国領仙台城の城下町にあった寺。現在の宮城県仙台市青葉区本町3丁目の仙台第一地方合同庁舎の敷地を中心に、宮城県行政庁舎にかけて寺域が広がっていた[4][5][6][7]。 参道が、国分町(奥州街道。北緯38度15分56.6秒 東経140度52分8.1秒)から同寺の門前を当時北端としていた東三番丁(北緯38度15分59秒 東経140度52分20.9秒 / 北緯38.26639度 東経140.872472度))まで通じ、「定禅寺通」と名付けられた(Google マップ)。同通りは1873年(明治6年)に同寺が廃寺となった[8]後も地名や道路名として残り、戦後に「杜の都・仙台」の象徴の1つになった。現在、沿道の団体や商業施設には「定禅寺」と名付けている例が見られるが、これらは「定禅寺通」の方を指している。 歴史[編集] 創建年および当初の所在地は不