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ブックマーク / diary.lylyco.com (2)

  • こんな時代に人生設計などすべきではない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    身も蓋もないことをいえば、どうせ当には人生を設計なんてできない。 ・帰宅した。目がさえて眠れん。愚痴らせてくれ。 この匿名氏の見込みが甘かったとは、ぼくは思わない。年間約200万の25年ローン。博打だとは思う。が、年収630万時点でならさほど分の悪い賭けでもない。これで人生設計が甘いというなら、ローンを組んでいるすべての人が甘い。なにしろ、将来を約束されている人なんてひとりもいないのである。明日文無しにならないとも限らない。尋常にえてきた人間には、収入が増えないというだけでも十分に悲観的な展望だろう。大幅な減収や離職の可能性まで織り込んだ人生設計を立てる人間なんて普通はいない。「いつでも独りで死ねる準備をしておけ」ということにしかならない。 今、最悪の事態を想定して人生を設計することにどれほどの意味があるだろう。それこそ、ストリートでも生きられる強さを身に付けるくらいしか有効な設計図が

  • すべての非モテは恋愛強者である|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    そもそも、恋愛に相手は要らない。相手に左右される恋愛など不純ですらある。 今更な話かもしれない。が、ともかくすべての恋愛は独り相撲である。だから「最高の恋愛は片想い」なんてことがいわれる。或いは、「恋する自分に恋する」だとか。要するに、恋愛とはそういう娯楽なのである。悪い意味でいっているのではない。妄想力さえあれば誰でも参加可能な素晴らしい娯楽だとさえ思う。そんなことはない、非モテは辛いのだ。そう思う向きもあるかもしれない。そう、辛い。むしろ、それこそが恋愛丸である。いや、幸せな恋愛というのもあっていい。けれども、より娯楽性が高いのは辛い恋なのだ。恋愛物語の傑作は失恋の物語と決まっている。 合コンで知り合って、なんとなく付き合ってはしっくりこずに別れる。そんなことを繰り返すリア充は恋愛弱者である。彼らの別れは失恋ではない。そこには胸を裂くような慟哭も、涙を涸らすカタルシスもない。失って

    okoppe8
    okoppe8 2008/10/10
    リア充がしているのは「恋愛とは別の何か」なわけだ。そうかもしれない。
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