<ビートたけし生誕の地> 「…島根町のわが家の一帯は、田んぼのなかに家が建ち並んでいるという長閑な土地でした。人家が密集し、環状七号線の道路が横切っている現在からは想像さえつきません。おふくろの話では、戦争中まではもっと人家も少なく、家にいて近くの梅島駅で何人降りたか見えるほどだったとか。「あれ、駅で降りたの、うちのおばあちゃんじゃないかい」 と、ヤカンを火にかけておくと、ちょうど帰ってくるころにはお茶が出せたというくらいだそうですが、戦後しだいに人家は増えて、私が物心つくころには、さすがにそんなことはできませんでした。 近所には大工さん、ハンドバッグ造りの人、貝殻などをちりばめた螺釦漆器造りの人、ソバ打ち……要するに手に職を持つ人たちが住んでいました。ちょっとした下町の職人街のようなものでした。ペンキ塗りの職人だった親父も、その一人です。家の造りも同じようなものなら、暮らし向きもさほど変