孔子こと孔丘先生の言行録『論語』。 しかしその内容は多岐にわたり、中には先生ご本人のお言葉とも思えないほど見苦しいものもあったり、先生の食生活についての内容まである。 だが、もしかすると『論語』は単なる言行録ではないかもしれない。 雑多な内容は、本当の目的をカモフラージュするためのものかもしれないのだ。 かの大工の息子の弟子ヨハネは幻視による予言を得意とし、それによって生まれたのが「ヨハネ黙示録」である。 また東洋においても漢の高祖劉邦が未来予知の能力者であったことは割と知られている*1。 同じように、一見孔丘先生の妄言録に見える『論語』も、実は未来予知を随所にちりばめた「よげんの書」かもしれないではないか。 子曰「夷狄之有君、不如諸夏之亡也。」 (『論語』八佾第三) 先生は「夷狄に君主がいても、中国に君主がいない方がマシだな」と言った。 これはもう遥かな将来に五胡やその他異民族が中原に進