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ブックマーク / blog.nagao.nuie.nagoya-u.ac.jp (4)

  • 長尾のブログ2.0: 会議革命、その後(後編)

    僕は、最近になってようやく自分の間違いに気がついた。 議論のスキルが向上するために最も必要なものは、ツールを使いこなすテクニックではなく、議論への参加意欲だった。 だから、どんな支援ツールを開発して運用しても、参加意欲がわかないのならば、学生たちの議論スキルの向上には結びつかないだろう。 実は、ゼミの成績を決めるときに、彼らの発表数と発言数を用いているのだけど、それがインセンティブになって積極的に参加してくれるかと思ったら大間違いだった。 つまり、参加者の意欲を高めることにもっと注力すべきだった。 どんな会議でもそうなのかも知れないけれど、僕たちのミーティングでは、ほとんど発言しない人がいる。 成績に関係するからたくさん発言してください、と言ってもその直後くらいに、申し訳程度に一度か二度発言するだけで、後はずっと黙っている。 講義じゃないんだから、黙って聞いていればよいというものではない。

    omumeron
    omumeron 2009/06/15
    参加意欲
  • 長尾のブログ2.0: 教育者の品格

    最近、研究成果報告書(研究費をもらったら必ず提出しなければらない)を立て続けにいくつも書いていたら、報告書以外の文章を書きたくなった。 まったく、こんな書類ばかり書いていたら、さぞつまらない人間になってしまうだろう。 それで、久しぶりにブログを書いてみることにした(4月のエントリーがあれ一つだけなのはあんまりだし)。 今さらだけど、「国家の品格」(藤原正彦著 新潮新書 2005)というを読んだ。 ついでに、「ウェブ進化論」(梅田望夫著 ちくま新書 2006)も読んだ。 後者に関しては、突っ込みどころがいくつもあるのだけど、それはまた別の機会にしようと思う。 「国家の品格」を読んで、大学生の頃のことをちょっと思い出した。 僕は父親からよく「お前には教養が足りないから、古典をたくさん読め」と言われていた。 「古典ってどんな?」って聞くと、「とりあえず平家物語。夏目漱石や森鴎外もいいな。お前が

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    omumeron 2006/04/30
    日本人として
  • 長尾のブログ2.0: コンテンツがタダになる日は来るか

    最近「コンテンツ消滅」(小林雅一著 光文社ペーパーバックス 2004)というアイキャッチなタイトルのを読んだ。 このタイトルには、「日沈没」とか「首都消失」みたいなインパクトがある。 似たようなタイトルのに「科学の終焉(おわり)」というのがある。 思わず手に取ってしまうタイトルである。 このには、コンテンツ業界の苦悩が切々とつづられている。 1年前に出ただから、このブログを見ている人の中にもこのを読んだ人がいるかも知れない。 僕なんかには涙が出るほど懐かしいスペースインベーダの開発者の話などが出てくる。 スペースインベーダ(という名のテレビゲーム)がヒットしたのは1978年である。 僕は当時高校生だった。 そのとき付き合っていた女の子と学校の帰りに喫茶店に寄って遊んでいたのを思い出す。 あまりうまくないけど、いいところを見せようと思ってがんばったりしていた。 このゲームは日

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    omumeron 2005/11/15
    「ブリコラージュ」
  • 長尾のブログ2.0: 人を賢くしないもの

    このエッセイもどきの当初のタイトルは「Googleの功罪」というものだった。 Googleを代表とする検索エンジンにひどく危険なものを感じはじめているからである。 でも、ある理由で変えてしまった。 先日「インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?」(森健著 アスペクト 2005)というを書店で偶然見かけて何気なく目次を見たらまったく同じタイトルの章があったのだ。 驚いて、つい買って読んでしまった。 このにはいくつかの誤りが見受けられるが、一貫してこのネット社会(さらに言うと、監視社会だそうである)に自らの意思に関わらず埋没してしまっている人たちに警鐘を鳴らしている。 僕はこれまでどちらかというと技術を提供する側が考えるべき点についてばかり論じてきており、技術を使う側が心しなければならない点についてはあまりちゃんと言ってこなかったような気がする。 今回はその点を反省しながら、少し論じてみた

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    omumeron 2005/10/24
    なんとなく反省。
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