真の友をもてないのはまったく惨めな孤独である。と言ったのはフランシス・ベーコンだがandymori時代の小山田壮平はそんな感じだったのかもしれない。もちろん自分の音楽を鳴らしてくれる信頼のおけるバンドメンバーはいたし、長澤知之という親友もいた。でも、あの頃の彼はいつも孤独と隣り合わせだったように感じる。 andymoriを語る上で"楽園の在処"という視点がある。彼らは「Life Is Party」で 楽園なんてないよ 楽園なんてあるわけない と歌い、『革命』の「楽園」ではここではない世界、すなわち黄泉の国が楽園であると歌っている。『光』の「クラブナイト」ではクラブという場所に楽園を見出しているのだが、その場所は現実逃避と孤独な自分を慰める場であり、仲間を集う歌でもあった。 このことを考えると、小山田壮平は現実という世界の中で心が休まる場所を見失い、それを探しながら音楽を続けていたのだと思う