山中伸弥教授が「あのプレゼンがなければ、おそらくiPS細胞はできていなった」と振り返る人生「最大」のプレゼンがある。山中教授はこのプレゼンによって、研究者として1000万円プレーヤーから1億円プレーヤーになった。 人生最高の緊張感のなか、自分のやりたいことをどう伝えたのか? 山中教授がMITメディアラボの伊藤穣一教授とともにプレゼンの極意を語った話題書『「プレゼン」力』より、研究者人生の岐路となったプレゼンの模様を特別公開! 2003年、科学技術振興機構・CREST あれは、2003年のことです。 このプレゼンテーションがなかったら、おそらくiPS細胞はできていないと思います。 このときも書類選考に残り、面接に呼んでいただきました。私もいろいろな面接を受けてきましたが、このときは、本当に緊張しました。おそらく、今までの人生で一番緊張したんじゃないかと思います。 それというのも、面接官が岸本
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