ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (31)

  • 感情をこき使って摩耗する現代人(感情炭坑労働・情報公害、とでも喩えたくなるような) - シロクマの屑籠

    世界史の資料集を眺めていると、イギリスで第二次産業がいよいよ発展しはじめた頃の挿絵として「炭坑で働く子ども」の絵が出てくる。四つんばいになって、真っ黒になった子どもが石炭トロッコを牽いている絵だ。過剰な肉体労働と過小な栄養補給や休息、そして劣悪な環境の故に、彼らは早くにして命を落としたという。あと、日の紡績工場の女工さんの話とか。『ああ野麦峠』などが有名だ。現代の私達は「これはひどい」と思いながら第二次産業で酷使・搾取される人達を眺めやる。 翻って第三次産業がいよいよ発展してきている現代。 ここまで書けば勘の良い人は気付くだろうが、かつて第二次産業において起こっていたことに類似した現象が、より広くより深く第三次産業において起こってきているんじゃないか、と私は思ってしまうわけだ。そしてこの場合、酷使されて壊れるのは肉体ではなく、(情動・メンタル・情報処理なども含めた)中枢神経のほうだ。 肉

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    onionskin 2007/06/19
  • 「決断主義」は流行の最先端ではなく、ただ当たり前のことでしかない。

    http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/2_0/2007/06/5_c5bd.html 善良な市民さん(以下、宇野さんと表記)がSFマガジン上で書いた「決断主義」に関して、Masaoさんが「時代遅れだ」「現実は軽くなってるじゃん」と反論しているのが上記リンク先の記事だ。しかしMasaoさんの感覚のほうがむしろ時代遅れというか、時代に逆行していると思う。娑婆はますます流動性と多様性とグローバリゼーションをきわめていて、容赦なきパワーゲームが先鋭化しつつある状況に若い世代は対応を済ませている、と宇野さんは言いたいんじゃないだろうか。そして「現実を軽くする」ことで娑婆に対応出来たと思いこむ感性に対して、「そんなんでサバイブできるの?」と疑問を投げかけているのではなかろうか。 流動性・多様性をきわめた現実をサバイブするには、分からないものは分からないと留保しつつ

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    onionskin 2007/06/09
  • 了解可能性について検討したくなる事例でも、その前に触れておくべきこと - シロクマの屑籠

    はてなブックマーク - 数学屋のメガネ - 人間の主観を客観的に理解できるか まず、上記のリンク先の秀逸なテキストを楽しむのはokとして。テキストを生起させるトリガーとなった「母親の首を切って自首した少年の事件」について思うところを。例の「母親の首を切って自首し、家には塗装済み右手が植木鉢に植えてあった」件については、上記リンク先のような「間主観的な理解が可能かどうか」を検討する前にやっとかなければならないことがあると私は思っているし、(メディアには出てこないけれども)多分それをやっている人もいるんだろうな、と思う。続報がメディアに報道されないから「やっているんだろうな」という推定の域を出ないけれど。 何が言いたいかというと、例の少年は「主観」がどうとか、「承認」がどうとか、「アイデンティティ」とか言う前段階として、幻覚妄想状態、とりわけ統合失調症圏の症状でなかったかがまず十分に検討されな

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    onionskin 2007/05/28
    ごく当然のステップが省略される怖さ
  • 話題が豊富なだけではコミュニケーションは覚束ない - シロクマの屑籠

    2007-04-29 - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」 これは確かに“非モテのカードゲーム”に違いありません。この極端な比喩を書いてしまうからには、コミュニケーションなり適応シーンなりでお困りでしょうし、大いなる勘違いを惹起しかねないかと。 確かに、レアでコアな趣味なり何なりが適合した時の喜びは大きいですし、巧くいけば二者関係の強烈な接着剤となり得ます。また、手札の数が多いこと・知識ジャンルの引き出しが多ければ多いほど重宝するということにも異論はなく、例えば症例12補足:文化多様性を生かしたカードゲームのようなコミュニケーションと、文化ニッチを越えたコミュニケーション(汎適所属)に挙げられているような話にも納得できる所があるわけです。コミュニケーションのモデリングのひとつとして、カードゲームに喩えること自体も決して間違っているとは思えない*1し、(repu

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    onionskin 2007/05/02
  • 激やせ型の摂食障害はどこに行ったのか? - シロクマの屑籠

    障害は、神経性欲不振症(anorexia nervosa、いわゆる拒症)や神経性過症(bulimia nervosa、いわゆる過症)に大別することが出来る。実際は両者の間を行き来するケースも多いので完全に分けて考えることは出来ないものの、拒だけの症例や過が目立つ症例が存在するのは確かだ。 平成がまだ一桁で、私が大学生だった頃は「日では拒症のほうが目立つ」「拒症は栄養失調の果てに死亡するケースがあり、一割近くが死亡する」「過症は頻度は少ないものの病理は重く予後不良」と習ったものだ。授業でピックアップされるのはたいてい激やせ症例で、強烈なやせ願望を抱え骨と皮ばかりになった拒症ばかりが取り上げられていたような気がする。 数年後、大学病院を出たルーキーの私を待っていたのは、「拒だけの人と、過の混じった人が半々ぐらい」という状況だった。なんだかんだ言っても、摂障害は若

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    onionskin 2007/02/13
    25才未満ではほとんど見られなくなったそうだ
  • ちゃんと萌えるには、オタク的童貞メンタリティが必須である - シロクマの屑籠

    今、私は『To heart2 Xrated』を周回遅れでプレイしている。これは良い萌えものだ。学園純愛モノという極めて陳腐なテーマにも関わらず、随所に散りばめられた新規性、(一部の)キャラクターの創りこみ、そして「オタクなら身もだえするであろう」適切な心理描写に唸らされる。エロゲーオタクには馴染みのモチーフが、飽き飽きした印象ではなくある種の安心感に繋がるということは、前作の影響もさることながら、制作陣が「よくわかっていて」なおかつ「丁寧にと描いている」からだと信じたい。 この『To heart2』をプレイしていてとみに痛感させられづけられ、『ひと夏の経験値』『Fate』などを読み返していて再確認させられることがある。それは、ある種のオタクコンテンツ――とりわけ、恋愛感情の絡むオタクコンテンツ――においては、童貞根性というかオタク的な恋愛感情というか、ある種の思春期恋愛感情がなければ十分に

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    onionskin 2006/10/17
  • シロクマの屑籠(汎適所属) -オタク界隈の外でも失われない、「萌え」の重要な機能

    どんどん多義的になっていく「萌え」という言葉。にも関わらず、未だ「萌え」という言葉は首尾一貫したひとつの特徴を失うことなく日中を駆け巡っている。このテキストでは、その首尾一貫した特徴に関して、考えてみる。 【「萌え」の湯加減によって蓋をされたもの】 もともと「萌え」は、二次元美少女に対する言いたくても言えない気持ち(特に防衛された性的ニュアンス)をオブラートに包んで表現する為の便利な語彙として広がったんだろう。自分がプッシュするキャラクターに言及する際に、“性的ニュアンスを適度にフィルタリングする”装置をやはり必要としたオタク達にとって、「萌え」はちょうど良い湯加減だったんじゃないか*1と思う。「萌え」という語彙のぬるさ加減は抜群で、最も臆病なオタクさえ、異性やセックスにまつわる不安・葛藤を(自他両方に対して)十分フィルタリングしながらキャラを語れるようになった。または、自分自身に「萌え

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    onionskin 2006/09/29
    つまり「萌え」という言葉の発明がなければ、オタク市場はここまで大きくならなかった
  • 「萌え」の内側には性的なニュアンスが隠れている。(それも、ぱんぱんに、堪え難いほどに) - シロクマの屑籠

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    onionskin 2006/09/29
    歴史の再確認。これって今のオタクには通じないのかしら。
  • 隠れオタク女子を検出するマーカー開発 - シロクマの屑籠

    mainichi-msn co - Bing 多くのオタク男子というのは、脱オタ技術を身に纏うでもなく、ひたすらオタク趣味に時間とお金を蕩尽しているために遠目にも見分けがつきやすい。コミュニケーションに関しても、話題・話法・表情などにおいて「いかにもオタク的」な彼らを見抜くのはそう難しいことではない。*1 では、オタク女性も見抜きやすいかというと、そうは問屋が卸さない。女性世界のなかで(服装も疎かにして)おおっぴらにオタクをやるという事が何を意味するのか、殆どのオタク女性達は知り尽くしている。完全に開き直った一部女性オタクを除けば、オタク女子達は女性としての社会適応を維持するためにそれなりの労力を費やしている。このため、通り一辺倒の会話だけで「こいつはオタク女だな」と見抜くのは至難の業である*2。オタクな彼女を探し求めている男性オタク諸氏にとって、これは厄介な障壁だ。 だけど、諦めるわけに

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    onionskin 2006/09/15
  • オタクメディア入手すら困難な田舎に住んでいるので、俺は秋葉原に買出しに出かけます - シロクマの屑籠

    ARTIFACT ―人工事実― : メディア経験主義のオタク、現場主義のサブカル−アキバにオタクを代表させることはオタクを現場主義にさせてしまうだろう−を読んでいたら、 都会のオタク田舎オタク - シロクマの屑籠を思い出さずにはいられなかった。 田舎オタクにとって、現場中心のサブカル的スタンスか(オタな)メディア経験主義かを気にしている余裕なんて無いもんなぁ。 秋葉原・池袋・中野・立川をオタクの「聖地」と呼び、そこばかりに目をやることはオタク文化圏の狭小化を招く、という指摘は、オタク文化擁護という視点からみた時、十分心配に足るものに違いない。「ホットスポットで何を体験するか」の現場主義を軸とした(いかにもサブカルチャー的な)優越感ゲームに囚われるあまり、地方土着のオタク文化オタク趣味人・コンテンツを斬って捨てるのはやはり勿体無い。「オタク文化に関する評論を行う人や、オタク文化を紹介

    オタクメディア入手すら困難な田舎に住んでいるので、俺は秋葉原に買出しに出かけます - シロクマの屑籠
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    onionskin 2006/08/30
  • ■ - シロクマの屑籠

    人間、利のないところで差別はしない。利は、人間関係における優位かもしれないし、心理的安定かもしれないし、実益かもしれないが、とにかく何か差別することで得るところがなければわざわざ差別などしない。中立性を保つか、そもそも興味を持たないでスルーか。 利としては、例えば以下のようなものが挙げられる。 ・対象を差別することで、自分がまっとうor正当であることを証明だてる。 いじめられっ子を自分自身も差別することにより、自分はいじめられる存在ではないこと・いじめられる側の人間ではないという立場を表明することができる。差別される側が悲惨なほど、そして少数なほど、このような理由で差別に加担する&せざるを得ない局面は発生しやすい。 ・対象を差別することで、心理的問題(劣等感)を補償することが出来る。 任意の分野において自分と対象を比較し、自分の優等を認識することによって、他の分野における劣勢や過去の劣勢に

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    onionskin 2006/01/18