二〇二〇年東京五輪・パラリンピック大会の主会場となる新国立競技場(東京都新宿区)の建設計画が白紙となった問題は、初期の計画段階でスポーツ界や政界、音楽界など有識者から出された百二十八項目もの要望が組み込まれ、後に工費が膨らむ要因となった。文部科学省幹部は「多目的は無目的。今考えればそういうことかもしれない」と悔やむ。迷走を続けた建設計画を関係者の証言などで振り返り、検証した。 (沢田敦、森本智之) 二〇一二年三月にスタートした有識者会議は、新国立競技場をどんなスタジアムにするか、計画作りを一から担った。メンバーには利害関係者がずらり。議論は陳情合戦の様相だった。「開閉式屋根はマスト」「八万人規模がスタートライン」「ホスピタリティー機能も充実を」…。「ブロードウェーを超える地域開発」の発言も出た。 止めどない要望をどう形にするか。有識者会議の下に設けられた建築家らのワーキンググループでは「全