中学時代に中原淳一や蕗谷虹児の絵に憧れて、叙情画に興味を持つ[1]。 1950年(昭和25年)、大阪市立泉尾工業高等学校色染科卒業[1]。 1953年(昭和28年)[2]、榎本法令館より『奴隷の女王』で貸本漫画デビュー[5]。その後は大阪の日の丸文庫やあかしや書房などで貸本少女漫画を手がける。 1957年(昭和32年)、雑誌『少女』(光文社)にて「悲しみの浜辺」で雑誌デビュー。1958年(昭和33年)より「あらしをこえて」「東京〜パリ」(原作:春名誠一)「プチ・ラ」(原作:橋田寿賀子)などのバレエ漫画を続けて発表する。この頃よりぬりえ、文房具・衣服などのデザインも手がける[2]。アトリエを東京都文京区に移す[6]。『なかよし』『マーガレット』『よいこ』などの少女誌・幼女誌の表紙、挿絵、絵物語を執筆。 1963年(昭和38年)、千葉県佐倉市上志津にアトリエを移す。1987年に「真琴画廊」を開