2012年10月09日09:49 カテゴリ法/政治 「橋下維新」と尊王攘夷 尊王攘夷は、日本では珍しく原理主義的な運動が政治的に成功した例である。これは昔話ではなく、いま進行中の「橋下維新」を見る上でも参考になる。橋下徹氏みずから「維新八策」などのメタファーを使っているように、それは尊王攘夷をまねているからだ。 橋下氏の唱える「決定できる民主主義」は、たしかに尊王攘夷と似ている部分がある。彼が大阪でやった改革は、首長が意思決定を現場に丸投げするのをやめ、首長がみずから決めることだ。これは堕落した幕府から「本来の統治者」である天皇に大政奉還し、天皇親政で現状を打破しようという尊皇派の「一君万民」イデオロギーに近い。 尊王攘夷は、よく誤解されているように排外主義ではない。それは列強の侵略にそなえて国家を統一しようとするもので、対外的な通商を拒否したわけではない。吉田松陰は日米修好通商条約のよう