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天才と増田に関するorbisのブックマーク (7)

  • 誰か天才漫画家を一人上げろと言われたら

    女性漫画家なら圧倒的に吉田秋生をあげる。 20歳の時に傑作「カリフォルニア物語」で一気に名を馳せ、 後に映画化もしたこれまた傑作の「吉祥天女」で世間の度肝を抜いた。 カリフォルニア物語はアメリカの青春群像を鮮烈に描き、 吉祥天女では日田舎のジメジメとした閉塞感を活かしたミステリを描くなど その大きなふり幅は漫画好きを唸らせた。 その後、いくつかの短編を挟みながら 1986年には「BANANA FISH」の連載を開始する。 日人とアメリカ人のボーイズラブ的な心の交流を描きながら ギャング同士の構想、巨大企業の陰謀、ベトナム戦争帰還兵の苦悩など 様々な要素を詰め込んだ大傑作となった。 BANANA FISHの初期までは絵柄に明らかに「AKIRA」の大友克洋の影響が色濃く出ていたが その後、主人公のアッシュ・リンクスのイメージに沿ったようなシンプルで線の細い画風に変わっていく。 その後、い

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  • 絶世の天才だと思う人

    ラマヌジャン 才能のある人は結構いるけど、彼以上の天才は知らない 常人どころか、俗に天才と呼ばれる人ですらラマヌジャンの思考は理解できない 病弱、貧困層出身、鋭い閃き どこかロマンを感じさせる要素が多いのも天才という呼び名を引き立たせる

    絶世の天才だと思う人
  • 超絶天才に圧倒される漫画

    昴とかSUGARとかBECKとか、ほら、スポーツ系や芸術系でぎりぎりリアリティ保ってるくらいのやつ、最近の作品でオススメがあったら教えてくれ。

    超絶天才に圧倒される漫画
  • google見習え的な、天才育ててgoogle作れ的世間の発想に違和感がある

    いや、たしかに検索サイトはすごかったよ ページランクという発想は素晴らしかったし、その後の躍進の出発点だからね だけどさ それ以降、googleがなにしたよって話なわけですよ youtubeとかgoogle mapとかandoroidとか そのほか数えきれない数々のものは、他社を買収し立モノであってgoogleから出たものじゃないわけで 一時期youtubeの対抗でgoogle videoみたいな情けないものあったよね・・・ google plusもひどいものだよね で 結局、人生勝ち組スパイラルじゃないけど 裕福な家庭に生まれた子供がまた裕福になるように 勝ってる企業がさらに勝つだけの話なのに、それを見習えと単純な発想で子供に教え込むのってどうかと思うんだよね。 IT創世記なら、業界に大手が無く隙があったから成り上がれたけど、今はそうじゃないんだからさ ITに隙がなくなったわけですよ。

    google見習え的な、天才育ててgoogle作れ的世間の発想に違和感がある
  • たぶんだけど、「釣り合う天才」とかって考え方はしない方が精神衛生上良..

    たぶんだけど、「釣り合う天才」とかって考え方はしない方が精神衛生上良いよ。 努力だけじゃ到達できないような、天才ってのはたぶん居る。 あの人は、プログラマーとしては非凡だっただろうけど、むしろアーキテクトとして卓越してた。 そういう、スキルとしての評価ってのは、その他の行状から関係なくありうるよ。 でも、当然ソレとは関係なく、やらかした動機とか、やらかした結果ってのはある。 オッペンハイマーは天才だし、完璧に合法だし、当然罪には問われなかったけど、間違いなく原爆の父だよ。 でも、それが「原爆を生み出した」ことに釣り合う天才かってことは、考えても無駄だよ。 ヤツは天才だった、そして考え無しだった、 既にある技術を、知られていた方法で組み合わせるだけで、破滅的な結果になる。 ある程度の知識があれば結果は予想できるし、結構なアーキテクトならアイデアがあれば近いものは組めるし、そこそこのプログラマ

    たぶんだけど、「釣り合う天才」とかって考え方はしない方が精神衛生上良..
  • 天才性と秀才性

    天才性はある事柄を学んだ時に感覚的に理解することができる能力で、 秀才性はある事柄を学んだ時に直感的な理解は得られないが、 一つ一つ段階を踏むことで理解することができる能力だ。 と仮定すると、天才性と秀才性にはある種の連続性が存在する。 天才性をエレベーターに例えるなら、秀才性は階段である。 この意味では誰もが天才性と秀才性を有する。 多くの人が1+1=2という決まりごとは直感的に受け入れることができるし、 ある程度の段階まではエレベーターに乗って進むことができる。 しかし多くの人が小学校中学校と進学するに連れて徐々にエレベーターを降りて階段を進まなければいけなくなるだろう。 だが階段を進むだけでもかなりの高さに到達することはできる。 高校大学あるいはそれ以上の段階までエレベーターで登っていけたとしても、 どこかの段階で誰しもエレベーターを降りて階段を歩むことになる。人間は全知全能でないか

    天才性と秀才性
  • 天才として生まれて

    高校時代まで、他人から見て自分は天才だったと思う。歌とか運動とかは特にできないが、テストの点を取る才能はずば抜けていた。具体的に言うと、学内偏差値が3桁あった。高校は大学進学率99%の進学校だったから、周りが勉強が苦手ってわけじゃない。 自分で書くと自意識過剰に見えるけれど、特に高校時代、先生や同学年の生徒は俺のことを特別なものとして見ていた。(と、同窓会で当時の先生にも言われた。)その後、東大に入ってそこではとても気楽に楽しく過ごすことができたのだけど、今から考えると「自分が特別な存在でない環境」はそこが生まれて初めてだったからだと思う。 あまり考えないようにしているのだけど、こういう奴を目の当たりにして、周りはどう思っていたのだろう、とかたまに思ってしまう。特に、学年2、3位くらいに休日は日に10時間は勉強するという奴がいたのだけど、彼にとって俺はやっぱり嫌な存在だったのかな、とか。だ

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