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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (3)

  • 「平家物語」と勧善懲悪の謎(最終回) - jun-jun1965の日記

    前に出た大塚ひかりには『男は美人の嘘が好き :ひかりと影の平家物語』(一九九九)という著作がある。大塚は、『源氏物語』や『古事記』については鋭い議論を繰り出すが、この『平家』論はあまり鋭くない。女性論を中心としており、文庫化(二〇一二)された際には『女嫌いの平家物語』と改題された。『平家』にはあまり女の活躍がない。木曽義仲の愛妾とされる巴は、出てはくるがちらりとだけで、冒頭の祇王・祇女、仏御前のほかに、印象に残るのは小宰相くらいで、清盛の孫の通盛に恋われてそのとなり、湊川で通盛が戦死したと聞いて泣き伏し、一ノ谷で身投げして死んでしまう。 そもそも通盛のとなる経緯が、通盛が口説いてもなびかないので、主人の上西門院が脅すようにして通盛のほうへ追いやったという経緯があり、あまり逸話として好きではない。 大塚の著は、今ひとつ私には理解の行き届かないところがあり、友人なんだから訊けばいいのだが、

    「平家物語」と勧善懲悪の謎(最終回) - jun-jun1965の日記
  • ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記

    前川直哉の『男の絆』について私が書いた一点のアマゾンレビューが時おり話題になるので、いちおう説明しておく。 上野千鶴子の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』もそうだが、なるほど、こういうことは一般にはまだ知られていなかったのかと思ったもので、こうした話は、学者(文学研究者、社会学者)の間では、1990年代にさんざん議論されていたことで、上野著にも前川著にも、私を含めそれらの人は、別に新しいものは何も見出さなかったであろう。 特にいずれも、物故したイヴ・コゾフスキー・セジウィックが『男同士の絆』の序文で言ったことをそのまま信奉している。なおセジウィックのこのが、邦訳される前、おそらく日で一番早く紹介したのが、私の『夏目漱石を江戸から読む』(1995)なのだが、まあそれはいい。 セジウィックはその序文で、ホモソーシャルという概念を打ち出している。ただこの概念をセジウィックが作ったというわけで

    ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記
    orbis
    orbis 2011/08/14
  • 戦後文学者チャート - jun-jun1965の日記

    ふと思いついて、こんなものを作ってみた。もちろん位置は暫定的なもので、政治的左右についてはっきりしている人もそうでない人も、前期と後期で変わった人もいるし、私小説云々についてはさらに分からないので暫定である。もっとも気づくのは、右側の上と下がくっきり分かれている感じであることで、右下は「志賀直哉-小林秀雄」派、右上は福田恆存-三島由紀夫派とでも言おうか。 字が小さくて見えないようなので、後日何とかします。 http://homepage2.nifty.com/akoyano/chart.png ↑ ここから大きいのがとれるみたいです。 - ところでいつも思うことで、言ってもいるのだが、書評などを仕事にする人は、見ているとむやみと新刊を読んでいるが、いったいいつ古典的作品を読むのだろう。それとも、古典的なものは若いころにみな読んでしまったのか、あまり読んでいないのか。私など、古いものを読むの

    戦後文学者チャート - jun-jun1965の日記
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    orbis 2010/04/05
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