キズナアイだとか表現規制関連のあれこれを見ていて思ったこと。 私も何年か前は、フェミニストを名乗ってTwitterでさかんに議論していた。昼夜問わず、リアルの生活そっちのけで議論に没頭していたあの頃、私はTwitter依存症だったと思う。 当時の私が、女性、子ども、あるいはそれに似たものが搾取されている様子、またはそのように見える様子を目にする。すると私はほぼ脊髄反射で、Twitterでそれがいかに異常であるかを訴え始める。反対意見が来れば猛然と反論する。 なぜか。それらは私に、「いつかの私」が再び搾取されている感覚を、生々しい五感の感覚を伴って思い出させたからだ。たとえば、自分と全く無関係の二次元の誰かについてのニュースが、一分一秒じっと目にしているのも耐えられないほどに、私の心身を激しくかき乱し、圧倒するものになる。 「私は、この搾取の光景と、すべてを投げうって戦わねばならない。だって
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