以前から疑問に思ってきた事があります。TRPGの世界ではどうして状況に応じて「四面体」「6面体」「8面体」「10面体」といった複数のサイコロを使い分けるのか? そこには全てを無機質な確率論に帰そうとする「情報エントロピー理論的ニヒリズム」に対する「個別的なるものそれぞれに対する執着心」側のせめてもの抵抗心が見て取れないかだろうか、と。 全ての「個別的なるものへの執着心」を捨て去る事に成功したグローバリストは、ある意味怪物の様なもの。マンハイムは「単一指標に基づく政治的・経済的平等の追求には相応の意味が存在するが、全ての価値観をこれに組み込むのが不可能である事を了承し「語れない事については語らない」態度を貫くのが真の進歩主義」と述懐しています。しかし最近のグローバリストは「人類の平等は政治や経済といった数値化可能な領域によってみ達成可能なのだから、全てを政治問題・経済問題化して反対意見を抹殺