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ブックマーク / www.isshikipub.co.jp (2)

  • 『エネルギー資源の世界史』「エネルギー利用の視点から見た古代帝国の盛衰」

    ギリシャ、ローマ帝国の衰退は、エネルギー資源の枯渇が誘引した? 古代帝国の盛衰を、エネルギー利用の視点から解説。 紀元前8世紀頃の古代ギリシャでは、多くの国家的な機能をもった小規模な都市国家(ポリス)が成立していた。紀元前5世紀前半にアケメネス朝ペルシアとアテネ(現代の民主政の源流を確立したと言われる)を中心とするポリス諸都市との間でペルシア戦争が起こり、最終的にはギリシャ側が勝利した。 ジョン・パーリンは、このようなギリシャ側の勝利の要因として、アテネ周辺の丘に存在した豊富な森林資源を指摘している。 ペルシア戦争における歴史的海戦であるサラミスの海戦においては、多数の軍船の建造が必要だったが、豊富な森林資源がそれらの建造を支持した。その一方で、パルテノン宮殿の建設などの都市における資材・エネルギー需要の拡大や、ラウリオン鉱山から産出される鉱石の製錬(精錬された銀は武器にも使用される)にお

    orzie
    orzie 2021/10/11
  • 『エネルギー資源の世界史』no.2「鯨油から石油へ」

    商業や貿易が盛んになり、経済が拡大基調になると、需要が増大するにもかかわらず、価格が高騰してしまっている状況が、「灯り」の新しい源を探求させる契機となった。1846年には、後に石油工業の父と呼ばれたカナダ人エイブラハム・ゲスナー博士が、トリニダード島の瀝青(アスファルト)を蒸留して新しい照明用の油を精製し、ケロシンと名づけた。 一方、1859年に米国ペンシルバニア州において、元鉄道員のエドウィン・ドレークが世界で初めて機械掘りによって地下およそ20メートルから石油を採掘した。このような地下から採取される石油は当初高価であったが、原油の精製技術の進展と市場の形成により、急速に安価なエネルギーとなっていった。つまり、4年間かけて採取される鯨油の量は、わずか数ヶ月で地下から採取できるようになった。 石油自体の利用は意外と古く、5000年以上前のメソポタミア文明までさかのぼり、瀝青(アスファルト)

    『エネルギー資源の世界史』no.2「鯨油から石油へ」
    orzie
    orzie 2021/10/11
    “生産された原油は当初は金属製のたらいに貯められたが、後に木製のウイスキー貯蔵用のバレル(容量約159リットルの樽)に貯蔵された。 現在原油の計量単位としてバレルが使用される由来はここにある”
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