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languageに関するorzieのブックマーク (6)

  • リンガ・フランカのすすめ - 内田樹の研究室

    大学院のゼミで、シェークスピアの受容史について論じているときに(いったい何のゼミなんだろう)通訳翻訳コースの院生から、私の論の中にあった「言語戦略」という概念についての質問を受ける。 言語は政治的につよい意味を持っている。 母語が国際共通語である話者は、マイナー語話者(たとえば日語話者)に対してグローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受できる。 なにしろ世界中どこでも母語でビジネスができ、母語で国際学会で発表ができ、母語で書かれたテクストは(潜在的には)十億を超える読者を擁しているのである。 自国のローカルルールを「これがグローバル・スタンダードだ」と強弁しても、有効な反論に出会わない(反論された場合でも、相手の英語の発音を訂正して話の腰を折る権利を留保できる)。 だから、自国語を国際共通語に登録することは、国家にとって死活的な戦略的課題である。 ご案内のとおり、20世紀末に、

  • 最後の授業 - Wikipedia

    『最後の授業』(さいごのじゅぎょう、仏: La Dernière Classe)は、フランス第三共和政時代の初期、1873年に出版されたアルフォンス・ドーデの短編小説集『月曜物語(フランス語版)』(仏: Les Contes du Lundi)の1編である。副題は『アルザスの少年の話』(Récit d'un petit alsacien)。『月曜物語』は1871年から1873年までフランスの新聞で連載され、毎週月曜日ごとに1つの短編が掲載された。 ある日、フランス領アルザス地方に住む学校嫌いのフランツ少年は、その日も村の小さな学校に遅刻する。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていたが、意外なことに、先生は怒らず着席を穏やかに促した。気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっている。教室の皆に向かい、先生は話しはじめる。 「私がここで、フランス語の授業を

  • アルザス語 - Wikipedia

    アルザス語(アルザス語: Elsässisch, Elsässerditsch、標準ドイツ語: Elsässisch, Elsässerdeutsch、フランス語: Alsacien)は、フランス北東部のアルザス地方で使用されるドイツ語系(アレマン語系)を祖語とするアルザス人によって話される一方言。アルザス地方では人口の43%が現在も流暢なアルザス語を話す[1]。 アルザス地方がこれまで独仏の間の抗争にある故にフランス国内にあるドイツ語系の言語という複雑な事情を持ち、戦後のフランス語教育の強化などが相まって絶滅に瀕した言語となっている[2]。 日では「最後の授業」に関する論争で一時的ではあるが注目された[2]。 アルザス語は高地ドイツ語のうちの上部ドイツ語のうちアレマン語系低地アレマン語(ドイツ語版)に属する上ライン・アレマン語(ドイツ語版)の一方言でそれを基盤としながらライン・フランケ

    アルザス語 - Wikipedia
  • Amazon.co.jp: ポルトガル語のしくみ: 市之瀬敦: 本

  • ポルトガル語学習に興味があるのですが・・・/アルコムワールド

  • 日葡辞書 - Wikipedia

    Vocabulario da Lingoa de Iapam 『日葡辞書』(にっぽじしょ、葡: Vocabulário da Língua do Japão)は、キリシタン版の一種で、日語をポルトガル語で解説した辞典である。イエズス会によって、1603年から1604年にかけて長崎で発行された[1]。ローマ字表記の日語見出しに対する語釈部分は全てポルトガル語で記述され、約3万2000語を収録している。原書名は "Vocabulario da Lingoa de Iapam com a declaração em Portugues" であり、「ポルトガル語で説明を付けた日の言語の辞典」を意味する。 イエズス会は、日宣教当初より日語研究のかたわら文法書や辞書などをまとめていた。1581年には府内コレジオで最初の日葡辞書が作られ、1585年には有馬セミナリオでも作られた。1591年に印

    日葡辞書 - Wikipedia
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