1943年、日本の戦局は悪化の一途をたどっていた。 北はアリューシャン列島、南はニューギニア、ビルマから怒涛の戦力で連合軍は皇軍を殲滅していったのである。 窮地に陥った日本は、天皇陛下のために最後の一兵までも戦わなくてはならない。その為には消耗品として兵隊の補充が急がれた。 そこで即席の下級指揮官足りえる大学生に白羽の矢が立てられた。 「徴兵猶予の特典」により、それまで兵役を免除されていた学生も知性の微塵も役に立たない戦場に放り出されることとなった。 土砂降りのなかで行われた学徒出陣式。諸兄よ元気で征け 壮行の辞 「21日朝、秋深む明治神宮外苑競技場、全日本の学徒が多年武技を練り、技を競ったこの聖域に“壮行の祭典“は世紀の感激をもって挙行された……『文部省主催出陣学徒壮行会』その名は平凡である。だがこの朝、外苑競技場に沸き上がった若人の感激は恐らくは、当競技場の歴史始まって以来の高さと強さ