武士・兵士の生活の途を奪うということ 五・一五事件を報じる東京朝日新聞号外 Wikipediaより 今回も引き続き『日本外交の血路』(GHQ焚書)の内容紹介だが、「五・一五事変の史的考察」との題で書かれた白柳の文章をほぼ全文紹介させていただくことにしたい。彼がこの本を著した昭和七年(1932年)の五月十五日に、有名な「五・一五事件」が起きたのだが、彼はこの事件を「五・一五事変」と書いている。「事件」と「事変」の違いは、「事変」の方がより規模が大きく、「狭義では、警察力では鎮め得ない騒乱を指す」などと解説されているのだが、青年将校が首相官邸を襲って犬養毅首相を暗殺した大事件であり、「事変」と呼ばれてもおかしくないとは思う。「国立国会図書館デジタルコレクション」で戦前戦中の本や論文を調べると、この事件について「五・一五事変」と書いていた事例それほど多くはなく、戦前戦中から「五・一五事件」と呼ぶ