前回の「歴史ノート」で国際連盟理事会でわが国の全権松岡洋右が昭和七年十一月二一日に演説をした内容の前半部分のポイント部分を紹介させていただいたが、今回はその後半部分について書くこととしたい。 満州事変は不戦条約違反ではない リットン報告書では満州事変のきっかけとなった昭和六年(1931年)九月十八日の柳条湖事件について、満州鉄道の爆破の規模は小規模であったにもかかわらず、その後日本軍が北大営を占拠し、翌日までに長春、奉天等を占拠した軍事行動は自衛のためのものとは認められないとしていた。それに対し松岡は、支那兵による鉄道の襲撃や破壊行為はこれまで何度も起きており、犠牲者も多数出ていたことから現場の兵士に強い緊張状態が長らく続いていた。同日の鉄道爆破事件はきっかけにすぎないとし、さらに以下のように述べている。 満鉄沿線に散在する日本守備兵の機敏な行動が、司令部からの命令が到着せぬ以前に於いて早