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ブックマーク / blog.livedoor.jp/fuji8776 (5)

  • アルピニスト・野口健のブログ : 福島第一原発、20キロ圏内の世界 - ライブドアブログ

    防護服に身を包む。 6月20日、早朝、私は高邑勉議員(民主党・衆院議員)と福島原発20キロ圏内(警戒区域)に向かった。高邑議員とは以前から遺骨収集活動でご縁があり、エベレストから帰国後に再会した際に「野口さん、20キロ圏内に取り残されている家畜が政府の方針により殺処分されている。私は何度も現場に通っていますが、あの動物達の鳴き声が耳から離れないんです。何とか助けたい。殺さずに生かしていく方法があるはずです」と訴えていた。 震災後、何度か被災地入りしたものの、私が訪れたのは三陸地域(陸前高田市、気仙沼市、山田町など)であり、福島ではない。同じ被災地でも三陸地域と福島とでは被害の内容が大きく異なる。震災後(4月10日から)、エベレスト登山のためにしばらく日を離れたが、エベレストにいながらも気持ちは日にあった。私が訪れた被災地は今どうなっているのだろうか?そして原発事故が起きた福島県は?エベ

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    otsune 2011/08/04
  • アルピニスト・野口健のブログ : 陸前高田市へ〜寝袋を届けて〜 - ライブドアブログ

    3月23日、被災地の1つである陸前高田市の広田小学校に救援物資(寝袋440個・寝袋インナー100枚・マット100枚・テント50張り・糧ダンボール4箱・下着ダンボール2箱・タバコ2カートン)を届けた。3月22日、まず東京から長野県小諸市へ。東北道は救援車両以外は通行不可ということで小諸市が手配した救援車両(10トントラック1台・4トントラック1台)に我々の救援物資を積み込み現地へと向かった。10トラックは小諸市民の方々が寄付した衣服・日用雑貨など。4トントラックは我々が集めた寝袋など。 テレビ映像で何度も見てきた被災地の様子ですが、実際に現場に訪れてみると・・・言葉が見つからなかった。被災地を覆っていたのが腐敗臭。海から打ち上げられた魚の臭いもあるだろし、瓦礫の下に埋もれたままの被害者も含まれているのだろう。実際に我々が訪れた時も瓦礫の下から遺体が発見されていた。白黒写真で見てきた東京大空

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    otsune 2011/03/29
  • アルピニスト・野口健のブログ : チベットに自由と正義を〜人権問題に国境はない〜 - ライブドアブログ

    6月19日、朝、家を出る時はいつも違った緊張感を味わっていた。その日は長野市で「メルトダウン イン チベット」の上映会と私のチベット問題に対する講演会が予定されていたからだ。 私の第一歩 2008年3月14日、チベットのラサで起きた血の抗議事件から2年。中国の人権侵害に苦しむチベット人が北京オリンピック前に世界に訴えようとラサで抗議を行った。その結果、多くのチベット人が逮捕され、獄中で拷問を受け200人以上のチベット人が犠牲となった。 あの暴動が起きた時、私は日でその様子をテレビで眺めながら、あの温厚なチベット人がついに行動に移したと、まさに知覧から飛び立っていく特攻隊員の心境と同じなのだろうと心が苦しくなった。もし私がその場にチベット人として居たのならば、間違いなく私も手に石を持ち参加しただろう。その行動をどうして批判出来ようか。 1946年にチベットは中国共産党の軍事戦略を受け、19

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    otsune 2010/07/06
  • アルピニスト・野口健のブログ : ツラギ氷河湖へ - ライブドアブログ

    ピサンピーク登頂後、次の目標はツラギ氷河湖。ネパールでは数十年前から氷河湖決壊洪水が記録されているが、その中でもネパールの水・エネルギー研究局は、イムジャ湖、ディグ・ツォ湖、ロウアー・バルン湖、ツォ・ロルパ湖、ツラギ湖の5つの氷河湖は潜在的な決壊の危険性があると報告した。 今までロウアー・バルン湖、ツォ・ロルパ湖、イムジャ湖には ツラギ氷河湖全容 ヘリから空撮したツラギ氷河湖 ツラギ氷河とツラギ氷河湖の境 残る氷河湖はディグ・ツォ湖とツラギ氷河湖。機会を見つけて訪れなければと思い、今回はツラギ氷河湖へと向かった。4月24日、4146Mのツラギ氷河湖に到着。山奥にありなかなかハードなコース故、空撮による映像資料はあるものの地上から撮影した細部映像、写真資料は少なくそれならば訪れる価値もあるだろうと出かけてみたが、いやはや、6000M峰2峰登った身には堪える急坂の連続。昨年、ICIMODが3泊

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    otsune 2010/05/01
  • アルピニスト・野口健のブログ : 4370体のご遺骨祖国に戻る - ライブドアブログ

    ではほとんど報道されませんでしたが、フィリピンで足止めされていたご遺骨4370体が12月9日に空援隊の倉田宇山さんと共に帰国を果たした。これで2009年の空援隊(フィリピンにて遺骨収集を行っているNPO団体)によるご遺骨収集は合計8670体。近年、国家事業として行われてきたご遺骨収集は年平均すれば600〜800体であったわけですから空援隊による収集数がいかに多かったが分かる。 旧日兵のご遺骨の焼骨式 フィリピンにて 昨年までは我々のような民間団体には認められていなかったフィリピンでのご遺骨収集活動。今年になり厚生労働省からご遺骨収集の許可を頂きこれだけのご遺骨を収集してきましたが、 1つにはご遺骨の焼骨を行うのだが、ホテルの許可を頂きながら敷地内で行ってきたのだが、後になって「聞いていなかった。遺骨の焼却行為が話題となり客のキャンセルが相次いだ。賠償してもらう」と訴訟にまで発展。しか

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    otsune 2009/12/28
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