明治初期、広島県内で大規模な農民一揆が起きた。そこで首謀者として名を残したのが森脇武一郎という農民である。森脇はその責任を問われ、明治新政府によって処刑された。 「僕が尊敬する人物なんです」 28歳の広島在住の青年は静かに訴えた。 「森脇は民衆の側に立って権力と闘いました。そんな人間になりたいと思っていたんです」 だから―青年は昨年まで「森脇武一郎」の名をハンドルネームとして用い、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)広島支部の運営担当を務めていた。 高校生の頃に政治への関心を深めた。「貧困」や「格差」の存在が許せなかったのだという。高卒後、大学の通信課程で学びながら「社会を変革させるための仲間」を探した。一時期は革マル派などの左翼党派にも出入りし、勧められてクロカン(黒田寛一)の著作も読んだ。だが革マル派をはじめとする左翼党派は、運動体としての魅力には乏しかった。「党」の存続だけに力点