タグ

ブックマーク / www.madisons.jp (3)

  • 悲惨な世界〜欲望心理学

    かのコリン・ウィルソンは著書『現代殺人百科』の「テッド・バンディ」の項を次のように書き始めている。 「バンディは殺人者としては異例に属する。法廷に彼が現われた時、そこで彼を初めて見た者は我が眼を疑った。何かとんでもない間違いが起こっているのではないか。それほどにバンディは犯罪とは無縁の好青年に見えた。しかし、セックス殺人において、彼が何か記録のようなものを作ったことは確かである」。 バンディは結局、30人の殺害を認めて死刑となった。しかし、その被害者は100人を超えると信じられている。そして、彼の経歴を見れば判るが、この頭脳明晰にして容姿端麗の男こそ、史上最悪の連続強姦殺人鬼なのである。 セオドア・ロバート・バンディ、通称テッド・バンディは1946年11月24日、21歳のルイーズ・コーウェルの私生児として生まれた。父親の素性は、今なお謎とされている。 厳格なメソディスト派のコーウェル家にと

    otsune
    otsune 2013/03/04
  • 殺人博物館〜サッコとヴァンゼッティ

    最も有名な冤罪事件である。『死刑台のメロディ』をはじめとして数多くの創作の題材になっているので御存知の方も多かろう。たしかに、2人が疑わしいことは否定できない。しかし、裁判自体は明らかに不当なものだった。検事や判事の態度は偏見に充ちてた。 1920年4月15日、マサチューセッツ州サウス・ブレイントリーの製工場が2人の暴漢に襲われて、給料1万6千ドルが奪われた。その際に会計主任のフレデリック・バーメンターと警備員アレッサンドロ・ベラルデッリが射殺されたのだが、その手口が極めて残虐だ。初めに撃たれたベラルデッリは、犯人たちが立ち去る際に至近距離から再び撃たれてとどめを刺されている。また、バーメンターは既に金庫を手放して逃げているのに後ろから撃たれた。まるでプロの殺し屋のような冷酷さだった。 この事件の4ケ月前、1919年12月24日に近くのブリッジウォーターでやはり製工場を標的にした未遂事

    otsune
    otsune 2008/07/21
  • 悲惨な世界~天誅御見舞い申し上げます 禁酒法の成立とその悪影響

    禁酒法。 この「史上最悪の法律」の成立過程を、オリヴァー・サイリャックス著『世界犯罪百科全書』はこのように記述している。 「これは長くゆっくりとした助走を経て形になった法律だった。開拓時代の野蛮な酒の飲み方に対する激しい嫌悪感は、アメリカに深く根付いているピューリタニズムと融合して、禁酒運動を生み出した。1907年に、ジョ−ジア州が絶対禁酒となった。他にもいくつかの大きな田舎の州が圧力に屈した。テネシー、ノースカロライナ、ミシシッピ、ウエストヴァージニア、オクラホマといった州だ。エール大学教授のチャールズ・フォスター・ケント博士も、絶対禁酒運動に少しばかり貢献した。アルコール抜きの聖書を作ったのである。彼は聖書の中の酒に関する記述をすべて削除したのだ」 我々が一般に「禁酒法」と云う場合、上のような州法ではなく、憲法修正第18条を指す。 「1914年、憲法修正第18条は下院で197票を獲得し

    otsune
    otsune 2008/03/17
  • 1