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2008年12月26日のブックマーク (5件)

  • 2008-12-25 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 : 中2男子生徒と性的関係 24歳女性教諭懲戒免職 三重

    http://www.asahi.com/national/update/1225/NGY200812250014.html?ref=rss 女性教諭は6〜7月、自宅アパートなどで中学2年の男子生徒(14)と2度、性的な関係を持った。教諭は「今年に入って学校生活などについて相談を受けるうち、メールアドレスを交換し、仲良くなっていった。保護者や生徒に申し訳ない」と話しているという。県教委はこの情報を県警に提供した。 北部の県立高校3校の男性教諭(50)や講師ら4人が8月、さいたま市であった全国高校総体に参加した際、ワゴン車で出張したのに、新幹線などを利用したと偽り、同乗した生徒12人の分を含め53万510円を交通費として不正請求していた。4人は減給10分の1(3カ月)の処分にした。 女性教諭は性欲に負け、男性教諭ら4人は金銭欲に負け、いずれも欲に負けたわけですが、犯罪としては、前者は条例違反

    2008-12-25 - 弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」 : 中2男子生徒と性的関係 24歳女性教諭懲戒免職 三重
  • スタローン監督・主演アクションに、サンドラ・ブロックも参戦 : 映画ニュース - 映画.com

    デンジャラス・ビューティーの 活躍やいかに?[映画.com ニュース] シルベスター・スタローン、ジェット・リー、ジェイソン・ステイサム、ドルフ・ラングレン、フォレスト・ウィテカーが総出演する、スタローン監督のアクション巨編「エクスペンダブルズ(The Expendables)」に、「スピード」「デンジャラス・ビューティー」のサンドラ・ブロックも参戦することになりそうだ。 米映画情報サイトJoBloが伝えたもので、ブロックはウィテカーとペアを組み、スタローンら傭兵部隊を雇うとある国の政府エージェントを演じるようだ。その部隊は軍事国家転覆を目的として集められるが、(ジャン=クロード・バン・ダムから断られたが)新旧のマッチョ系アクションスターが総出演。UFC世界チャンピオンのランディ・クートゥアも決定している。 ブロックはここ数年ヒット作に恵まれておらず、09年夏公開されるライアン・レイノルズ

    スタローン監督・主演アクションに、サンドラ・ブロックも参戦 : 映画ニュース - 映画.com
  • チャウ・シンチー、「グリーン・ホーネット」完全降板か! : 映画ニュース - 映画.com

    ブルース・リーのカトー役が 見られないのは残念?[映画.com ニュース] チャウ・シンチー(「少林サッカー」「カンフーハッスル」)が実写映画版「グリーン・ホーネット」のカトー役まで降板することになりそうだ。 1960年代の人気TVシリーズを実写映画化する同作は、コメディ俳優セス・ローゲン(「スーパーバッド 童貞ウォーズ」「スモーキング・ハイ」)とチャウ・シンチーの共演で、製作のソニー・ピクチャーズが2010年夏にリリース予定だったが、ハリウッド超大作の初監督の座を用意されていたシンチーは、先週末に「クリエイティブ面の相違」を理由に監督降板することが発表されたばかり。それでもオリジナル版でブルース・リーが演じたカンフーの達人カトー役を演じると見られていたが、人が香港でAP通信のインタビューを受け、同作から完全撤退する意志をほのめかした。 チャウ・シンチーは、バットマン最新作「ダークナイト

    チャウ・シンチー、「グリーン・ホーネット」完全降板か! : 映画ニュース - 映画.com
  • 堀江貴文『ロビー活動が足りない!』

    堀江貴文オフィシャルブログ「六木で働いていた元社長のアメブロ」 一般的には、ホリエモンとか堀江とか呼ばれています。コメントはリアルタイムには反映されません。私にコンタクトを取りたいときは、info@takapon-jp.comへメールでご相談ください。 厚労省、大衆薬のネット通販規制の方針 以前のエントリでも書いたが、やっぱり方針は変わらないわけね。 風邪薬とか、鎮痛薬とかマツキヨでは売ってもいいが、ケンコーコムでは売ってはいけないってわけだ。 マツキヨには薬剤師がいてきちんと説明をして売っているから、誤飲やら薬害被害はありえない、って建前なわけね。建前だろ。どう考えても。そんな説明、薬局ですら受けたことねーよ。厚生労働省が自分達のリスクヘッジをしているだけだろ。ネット販売が無くなって困る人のことはどうでもいいわけだ。 なんて言ったところで、ネット業界は政治献金もほとんどしてねーだろうし

    堀江貴文『ロビー活動が足りない!』
  • 撮影監督の映画批評 遍/偏在するキャメラ

    映画を演劇から隔てるものに、遍在するキャメラをあげることができるだろう。どちらも客席という視点は不動でありながら、映画にあってはキャメラがその視点を媒介することで、擬制的にいかなる視点をもとりうる。 キャメラの遍在性それ自体は、取り立ててどうこう言うこともなく自然に了承されている類のものである。 しかし権利上どこであろうが遍く存在することのできるキャメラも、スプリット・スクリーンを用いない限り同時に複数の視点を提示することはできない。至極当然のことながら、キャメラの遍在は可能性であり、現実的にはキャメラは任意の場所に実在し、その視点からの画を提供する。どこで何をどう撮ってもいいキャメラに、どこかで何かをどのようにか撮らせることが、映画を撮るということ(の一側面)である。 そのようにして撮られた映画のキャメラが、その遍在性=透明性しか示し得ない作品を私は駄作と断じる。映画には偏在する(偏って