ブックマーク / karibaryokouki.hatenablog.com (6)

  • 気比の松原 - カリバ旅行記

    鉄道唱歌で行く北陸線 5 / 青春18令和4年春紀行 初日 武田耕雲斎の墓、松原神社を後にして、気比の松原まで歩いて来ました。 松原に入り、海岸へ向かって歩いて行きます。 海が見えて来ました。 日三大松原の一つだそうです。 聖武天皇の御代に一夜にして出現したそうな。 海岸から見た松原 敦賀港の方を望む 駐車場横のグランド奥に何やら石碑が見えています。 明治24年の建立 碑文は勝海舟のものだそうです。 近くにあった別の石碑 「皇太子殿下御展望所」と彫ってあります。 「明治四十・・・」とも彫ってあります(風化でそのあとの文字は読めません) 明治40年代の皇太子ですから、すなわち大正天皇のことでしょうね。 海のほうを望む。 大正天皇も展望された景色です。 ではまた、松原の中を通り、 敦賀駅まで戻って来ました。 駅の背後では背の高いクレーンが動いています。新幹線の建設も進んでいるようです。 施

    気比の松原 - カリバ旅行記
  • 屏風岩・因佐神社 - カリバ旅行記

    国引き神話の地を訪ねて 8 日御碕からバスに乗って、稲佐浜まで戻ってきました。 バスを降りたところに大きな木製のレリーフ 稲佐浜はオオクニヌシとタケミカヅチが国譲りの交渉をした地として知られています。その交渉の様子でしょうか。 この先の屏風岩は、その交渉がなされた所なんだそうです。 高天原からの全権大使であるタケミカヅチは、稲佐浜に剣を逆さに突き刺し、その鋒先にあぐらをかいて、お前が統治している国は来アマテラス大御神のものだ、と迫ったそうです。 オオクニヌシは壮大な神殿を建ててそこに自分を祀ることを条件に日の国をアマテラスに譲渡することになりました。 この交換条件として建てられたのが出雲大社です。 屏風岩 はて、「古事記より引用」とあるが、古事記にこんな話あったっけ? 特にオオクニヌシの返事の言葉・・・ 古事記ではタケミカヅチに対するオオクニヌシの答えは 「わたしには何も言えません。わ

    屏風岩・因佐神社 - カリバ旅行記
  • 蓮ヶ池横穴群 後編 - カリバ旅行記

    宮崎県宮崎市の蓮ヶ池史跡公園に来ています。 工事中のみやざき歴史文化館の裏から細い遊歩道が伸びています。 ここを行くと「2号墳」のそばに出るようです。 水路にかかる小さな橋を渡り、進んでいきます。 そして、どうやらこれが「2号墳」のようです。 それを示す標識も何もないし、意識しなければそれが古墳だとは分からないでしょう。 案内板には円墳の形でが描かれています。 では、ここらでいったん戻って 駐車場そば、「厩」と「鍛冶屋」のところまで戻ってきました。 この裏から伸びている遊歩道を進んでいきます。ここはさっき行った2号墳の下あたりになります。 そこに石でふさがれている横穴がありました。 「53号横穴」だそうです。 全長9.1mの蓮ヶ池横穴群最大の横穴だそうです。 線刻壁画が刻まれているということですが、入り口がふさがれていては見ることができません。 さっき行った2号墳は直径17mの円墳だそうで

    蓮ヶ池横穴群 後編 - カリバ旅行記
  • 御池 - カリバ旅行記

    みそぎ御殿を後にして、「御池」目指して市民の森の中の遊歩道を歩いていきます。 そして、見えてきました、 御池(みいけ) 別名「みそぎが池」 イザナギは死んだイザナミをこの世に連れ戻すため、死者の国である黄泉の国まで行きました。しかし、イザナミを連れ戻すことはできずに戻ってきました。 イザナギの体には黄泉の穢(けがれ)がまとわりついていました。 イザナギは禊を行ってこの穢を祓い落とします。 その禊を行った地がここ「御池」と伝えられています。 イザナギが禊を行ったとされる御池 この禊を行っているときに数多くの神様が産まれました。道の神、穢の神、その穢を浄化する神、 さらに海の神の綿津見三神、航海の神の住吉三神・・ そして最後に生まれたのが三貴神と呼ばれる、アマテラス、ツクヨミ、スサノオでした。 御池には蓮の花が咲いています 池の周囲を一周してきました。 御池のそばにあるのは、菖蒲を栽培している

    御池 - カリバ旅行記
  • 久大本線 4828D 大分~豊後国分 令和3年3月 - カリバ旅行記

    久大線を行く 1 / 青春18令和3年春紀行 3日目 大分駅に来ています 今日は久大線を大分から久留米まで乗っていこうと思います。 久大線は令和2年7月の豪雨災害により不通となっていました。今年3月1日に全線復旧したばかりです。 JR九州の赤い200系気動車が並んでいます。 写真右が今から乗る久大線の向之原行き、写真左は豊肥線の中判田行き、 どちらも9時55分に発車します。 車内、黒光りする転換クロスシートが並んでいます。 さて、どちらも9時55分発ということで、ふたつの列車の同時発車となるのか・・・と期待していましたが・・・ ところが時刻になると、豊肥線の列車を残して、今乗っている列車が先に出て行ってしまいました。 まあ、列車ダイヤは秒単位で組んであるが、市販の時刻表は秒を切り捨ててある。なので「9時55分0秒発」も「9時55分45秒発」も市販の時刻表では「9時55分発」とな

    久大本線 4828D 大分~豊後国分 令和3年3月 - カリバ旅行記
  • 高千穂神社 前編 - カリバ旅行記

    日向三代を訪ねて 33 ではここから高千穂神社へ向かいます。 高千穂神社は日向三代が宮を置いていた地で、今回の宮崎行きの命であります。 高千穂神社を目指して歩いていきますが、その途中 こんな、二枚の看板を見つけました。 下の看板は公共施設だとわかるが、上の「鬼八塚」とは何ぞや? その公共施設の駐車場にこんなのがありました 案内板には「神武天皇の兄三毛入野命は~」とあります。 「三毛入野命(みけいりののみこと)」は日書紀での表現で、古事記では「御毛沼命(みけぬのみこと)」と表現されています。 (拙ブログ『カリバ旅行記』『古事記の話』では「ミケヌ」としています。) ウガヤフキアエズ(日向三代の三代目)には4人の男児がおり、このうち長男イツセと四男イワレ(後の神武天皇)が日向から大和に向けて東征に出発します。 次男イナイと三男ミケヌは、古事記では東征出発前に別世界に去っていったことになってま

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