ブックマーク / yukukawa-no-nagare.hatenablog.com (5)

  • 男色(だんしょく)について - 聖護院 京極のブログ

    画像出典:Amazon 男色(だんしょく又はなんしょく)は男性の同性愛者の事です。が、幸いと言うべきでしょう、わたしは該当しません。しかし、有名作家がある特殊な環境にあった時、一度その可能性を試みても良いような事があったとそのエッセイで告白しています。 しかし、わたしはそのような窮地に陥ってその可能性を感じるというよう経験はありませんし、どんなに女っぽい男性であってもその気にはなりません。女性の方がいい。 ■ 男色は文化 百科事典マイペディアに依りますと、 男子の同性愛。〈だんしょく〉ともいい,衆道(しゅどう),若道(にゃくどう),野道とも。日では仏教渡来以後女犯を禁じられた僧院で始まったらしく,室町以後稚児(ちご)(喝(かつしき))を愛する風が盛んとなり,戦国以降は尚武の気風から少年武士が男色の対象となった。江戸前期にも男色は流行し,若衆(わかしゅ)歌舞伎の発展に伴って陰間(かげま)

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  • 「去る者は日々に疎し」 - 聖護院 京極のブログ

    画像出典:Yahoo! 人は誰でも、身近に居る人間を愛する傾向があります、男性であっても女性であっても。 無論、手の届かないアイドルや有名スポーツ選手などを愛するということもありますが、それは決して手の届かないと割り切った上でのことか、上手くやればもしかすると手が届くかも知れないという気持ちを持っているかのいずれかであろうかと思います。 ■ 若い頃には 若い頃にはこのように手に届かないアイドルを愛するのとはまた別に、実生活では自分の身の周りにいる人間もまた愛するものです。しかしいくら好きであっても、遠く離れていくとどうしてもその愛の感覚が希薄になるのは否めません。 それゆえ、 「去る者は日々に疎し」 と言います。よく、昔の日映画などでのシーンでは、東京と言う遠い都市に一旗揚げようとして、出て行く青年がいます。こういうケースでは、出て行くのは男性と決まっています。 『きっと迎えに来るから、

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  • ネットフリマに思う - 聖護院 京極のブログ

    画像出典:ネットショップ 大手のネットフリマに出品しています。 出品数は凡そ350を超える品数で、2/3程度が売れました。わたしの手違いで、評価が一つ悪いのが付いている以外はすべてそれ以外なので、まあまあ優良かと思います。 主に、断捨離(だんしゃり)のつもりでやっているのですが、まあいろいろな考えの人が世の中にはいるものだと、人間観察にはちょうど良い機会だと思います。 日は、出品中のシュシュにいいねとコメントが付きました。 ■ 値段 シュシュは全部で二個あり、一個の値段を明記しておりました。売値も一個の値段で出し、二個でも同時取引が出来ますとしておりました。2個なら倍値の100円引きとも書いておりました。 すると、 「二個欲しい」 とのコメントがありました。落札してもらうためには、二個の値段に修正するほか、説明文もそれに辻褄がある訂正が必要になります。そして、そのように訂正しましたので、

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  • それぞれにある住まいの匂い - 聖護院 京極のブログ

    画像出典:trance biz どの家にも程度の差こそ有れ、その家の独特の匂いはあるものです。それが、一番気付けていないのは、住まっている人でしょうか。そして、一番感じるのは、初めて来訪した人ではないでしょうか。 ■ 古い家 古い家には、生活様式から出るその家に言わばこびりついた匂いが長年にわたり蓄積しており、一時しのぎの噴霧器式の匂い消しでは、直ぐに効果が薄れてしまいます。訪問して長居していると、それが盛り返して来るのが解ります。 それらは、総じて不快な匂いであることが殆どと言っていい。ただ、そこに住まっている人には、どうということもない生活臭に過ぎないのでしょう。自身の鼻にも相手の鼻にも無頓着なものです。むしろ、長く住まいを離れた後に、帰ってみると、その匂いは懐かしく思えたりするかもしれない。 ■ 新しい家 一方、真新しい家には、建てられた当初の建築工事による匂いが残っています。クロス

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  • 他人の暮らしぶり - 聖護院 京極のブログ

    画像出典:幻冬舎ゴールドオンライン 軒を接するほどの近接した隣家は村一の素封家で、一方の我が家は「赤貧洗うが如し」ともいえる貧しさで、対象的でありました。母はいつも、ため息をつきながら 『カネがない』 と何度もこぼしたものです。それはほとんど口癖でした。確かに、大きな米びつの底が見える程に米が減り、母が近所に借りに走るようなことは、わたし達子供がべ盛りの頃には、暇(いとま)がないほどでした。 ■ 気楽な生活 母は話好きで、隣家をはじめ近くの家の同じ女たちと長話をしてきて、その時に仕入れて来た女たちの豊らしい生活ぶりをいつも羨ましがりました。その話が、どこまで当であるかとか、少し誇張しているのではないかとは少しも疑わないままに。そして、口癖に 『良子さんちは、娘さんが良いところに嫁いで、仕送りがあったりして、生活には困らないらしい』 とか 『静子さんとこの息子さんは、良い会社に入り、出世

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